クレバヤシソラ(25歳・足場鳶7年)
足場鳶を七年やっている。建物より先に建って、建物より先に消える。俺たちが組むのは、これから建つもののための、仮の骨組みだ。誰かがそこに立てるように、立つ場所を先に作る。歩く場所を自分で作りながら、登っていく。
二〇一九年、十八のときに鳶の会社に入った。最初に覚えるのは、登ることではない。結ぶことだ。番線という針金を、シノという工具で締めて、留める。手のひらに収まる鉄の棒の先で、針金をくるりと巻き取って、ぎゅっと締め上げる。最初の半年は、ずっとこれだった。
親方に言われた。「足場は組む順番がすべてだ。次に立つ場所を先に作る。それだけを間違うな」。当たり前のことを言っているようで、これがいちばん難しい。自分がいま立っている場所は、さっき自分で作った場所だ。次に進むには、その先をまず組まなければならない。手すりのない縁に立って、誰もいない空間に向かって、次の床を差し出す。
朝焼けの鉄骨が、オレンジ色に光っていた。その美しさに、俺はしばらく見とれていた。鳶という仕事の尊さが、あの光の中に詰まっているような気がした。クサビ式足場というやつで、部材の差し込み口をハンマーで叩いて固定する。カン、カン、という音が、現場のあちこちから響いていたと思う。
最初の数ヶ月は「手元」だった。地上にいて、上の職人に材料を渡す係だ。「ブラケット二本!」と上から声が降ってくる。俺はそれを束から抜いて、ロープに掛けて、上げる。声の掛け方にも順番がある。何を、何本、どこへ。間違えれば上の手が止まる。上の手が止まれば、全体が止まる。地面にいながら、俺は上の段取りの中にいた。
初めて二層目に上がった日のことは、忘れられない。安全帯のフックを手すりに掛け、一歩進んで、次の支柱に掛け替える。掛け替える一瞬だけ、体はどこにも繋がっていない。その床は、昨日、俺が組んだ床だった。自分が結んだ番線の上に、自分が立っている。締めの甘いところがあれば、自分が落ちる。手の記憶が、足の裏に返ってきた。
足場は、完成しても誰にも褒められない。本工事が始まれば「あって当たり前」のものになる。職人たちは何も言わずにそこを歩き、塗り、組み、溶接する。そして工事が終われば、足場は解体される。組むときの何倍もの速さで、ばらされていく。朝礼でKY——危険予知をやって、その日に何があるかを声に出してから、解体の日は始まる。組んだときより、ずっと早く終わる。
名前は、どこにも残らない。俺が結んだ番線も、俺が叩いたクサビも、解体されればただの部材に戻る。それでいい、と思えるようになるのに時間がかかった。職人が信頼して乗る床を、名前の残らない速さで組む。それが鳶だ。残らないものを、それでも一番に組む人間がいる。
あれから七年、俺はずっと、組む順番の観察者になった。何を先に作れば、次の人が立てるか。それを見続けてきた。番線の結びから始まったこの仕事が、組む順番が、俺をいまの俺にしてくれた。今日も誰かが立つ床を、誰よりも先に、空に向かって組んでいく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。