解体の、朝
ばらしは組みの倍、声を出せ

クレバヤシソラ(25歳・足場鳶7年)

解体の朝は、空が白んでいて、現場には静かな緊張が漂っていた。半月かけて組んだ足場を、これから二日でばらす。組むより、外すほうがずっと早い。早いというのは、気持ちのいいことのようでいて、本当はいちばん危ないことなのだと、いまの俺は知っている。

親方の口癖がある。「ばらしは組みの倍、声を出せ」。組むときは、下から積み上げる。一段ずつ、足元を確かめながら上がっていくから、慎重さが自然に働く。けれど外すときは違う。上から外して、降ろしていく。「もう終わる」という気持ちが、どこかで手を急がせる。その急ぎが、事故を呼ぶのだと思う。

解体は、組んだ順番の逆をたどる。いちばん上の手すりから外し、踏板を上げ、ブラケットを抜き、支柱を引き抜く。クサビを抜くときは、ハンマーを下から当てて、コン、と跳ね上げる。組むときは叩き込み、外すときは叩き上げる。同じ工具で、逆のことをする。抜けたクサビが、手のひらに落ちてくる。

外した部材は、上から下へ、人の手で降ろしていく。投げるのではない。落とすのでもない。渡すのだ。上の人間が「いくぞ」と言い、下の人間が「よし」と返す。その声が揃ってから、手が離れる。部材の重みが、俺の手から、下の誰かの手へ移っていく。そのとき、たしかに重さが受け渡される感触がある。リレーのバトンのように、現場を下りていく。

最後の一本を外したとき、建物が初めて全身を見せた。数か月のあいだ、俺たちは足場越しにしか、その壁を見てこなかった。網と単管の格子の向こうに、ぼんやりとあった色。それが、いきなり目の前に現れる。こんな色だったのか、と思う。誰のためでもなく組んだ足場が、最後にこの色を隠していたのだと知る。

足場が消えた現場を振り返ると、俺たちがそこにいた痕跡は、ほとんど何も残っていない。ジャッキベースを据えていた場所に、養生のために敷いた板の跡が、うっすらと残っているくらいだ。数か月、毎日通った場所なのに、足場が消えると、まるで最初から誰もいなかったような顔をしている。残らないことが、この仕事の宿命なのだろう。

一日の終わりは、員数点呼だ。トラックに積み込んだ部材を、声に出して数える。「支柱、四十二本」「踏板、八十枚」。組んだときと同じ数が、束に戻って帰っていく。数が合えば、その日は終わる。数が合わなければ、現場に何か残してきたということだ。だから声を出して、最後まで数える。

消えることが、足場の完成なのだ。建物が全身を見せたとき、俺たちの仕事は終わっている。残らないものを、それでも一番に組み、最後にいちばん丁寧に外す。痕跡が養生跡だけになるその瞬間まで、俺たちは声を出し続ける。消えるために組み、消すために声を出す。それが鳶という仕事なのだと、いまでは思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。