新人の、手元
渡す側になって見えたこと

クレバヤシソラ(25歳・足場鳶7年)

朝の現場には、すがすがしい空気が流れていた。十八の新人が、まだ真新しい軍手をはめて、俺の隣に立っている。七年前、俺もこの場所に立っていた。地上で、上に部材を渡す係。手元と呼ばれる仕事だ。あのころの自分が、いま目の前にいるような気がした。

手元は、ただ材料を渡すだけの仕事だと思われがちだ。けれど本当は、上の組みの速さを決めているのは、地面にいる手元のほうなのかもしれない。支柱の次に手すり、手すりの次に踏板、それからブラケット。上が次に手を伸ばす、その前に、要る部材がもう上がっていなければならない。早すぎれば邪魔になり、遅れれば上の手が止まる。順番を、体で覚えるしかない。

新人の部材の並べ方を、横で見ている。支柱と踏板を、種類ごとに固めて積んでいる。整然としていて、見た目はいい。けれど渡す順番では取れない。次に要るものが、いつも束の下になっている。俺は何も言わずに、並べ替えてやろうかと手を伸ばしかけて、やめた。自分も、最初はそうだった。

「次に立つ場所を、先に作る」。気づいたら、そう言っていた。新人が、きょとんとしている。七年前、親方が俺に言った言葉だ。足場は組む順番がすべてで、次へ進むにはその先をまず組む——そう教わった。その言葉が、いま自分の口から、同じ調子で出てきた。教えることは、教わり直すことなのだと思う。

新人が初めて二層目に上がる日が来た。下から見ている俺のほうが、緊張していた。上がっている本人より、見ている側のほうが怖い。踏板が一歩ごとにたわむ。そのたわみを、本人はまだ知らない。俺は地面から、ただ見上げているしかなかった。手は出せない。出してはいけない。胸の中で、無事に降りてこいと祈っていたのかもしれない。

番線の結びを教える。シノの先に番線を巻きつけて、手首を返して締める。言葉では伝わらない。だから、自分の手の動きを、ゆっくり見せる。七年前、俺の手がこれを覚えた。覚えたとき、誰かが言葉にできない部分ごと、手で見せてくれた。いま俺が同じことをしている。締めが決まると、番線は少し鳴く。その音を、新人の耳に置いていく。

休憩のとき、新人に缶コーヒーを渡した。俺も七年前、親方にそうしてもらった。新人は黙って受け取って、両手で持って飲んでいた。軍手が、午後にはもう汚れていた。朝の真新しさが、半日で消えていく。この子が辞めるのか、残るのか、初日には分からない。辞めていく新人と残る新人の違いは、たぶん、ここでは見えない。

俺はかつて渡される側を見上げていた手元で、いまは渡す側を見上げられる立場にいる。七年という時間が、立つ場所を変えた。次に誰かが立つ場所を先に作る、その教えを、こうして次の手に渡していくのだろう。教わったことを教えることでしか、この仕事はつながっていかないのだと、いまでは思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。