同じ速さの、別の文字
速記官と字幕入力者が、同じ机に座った日

クレハマドカ(53歳・裁判所速記官31年)

情報保障の研修会に、講師として呼ばれた。法廷の速記と放送の字幕が並ぶ席だった。音を文字にする仕事はいくつかあって、その人たちを一日集めて、互いの現場を見せ合おうという企画らしい。私は速記の側として、もう一人、リアルタイム字幕の入力者としてイコマナツメさんが呼ばれていた。三十三歳、放送の音声を即時に文字へ変える仕事を十一年やってきたという。言葉を届けるという使命において、私たちは同じ場所に立っていたのだと思う。

イコマさんの実演を、隣で見せてもらった。特殊なキーボードを使う。普通のキーより少ないキーを、同時に押して文字を出す。それを見たとき、私は思わず声を上げそうになった。私のソクタイプと、同じだったからだ。和音を打つように、指の組み合わせひとつで音をひとつ。三十年の差がある道具なのに、考えていることは同じだった。違うのは、私の指の先には符号の紙があり、彼女の指の先には画面の文字が出ることだけだった。

誤りの作法が違う、という話になった。字幕は、出してから直すのだという。間違った文字をいったん画面に出し、視聴者の目の前で訂正記号を打って消す。生放送だから、止められない。速さが先で、正確さは後から追いかける。私の速記は逆だ。法廷では符号にしておいて、反訳の時間に確定する。間違いを画面に出すことはない。同じ和音を打ちながら、私たちは速さと正確さを、別々の置き場所に置いていた。

字幕の利用者の話を、イコマさんがしてくれた。聞こえない人が、テレビの前で文字を待っている。少し遅れてもいいから、間違えてもいいから、いま何が起きているかを文字で知りたい。その話を聞きながら、私は法廷の当事者を思った。耳の遠い証人、手話通訳のつく被告人。私の符号も、いつか誰かの文字になって、その人の前に置かれる。届ける相手がいるという一点で、私たちはきっと繋がっていたのだろう。

機械の音声認識の話も出た。双方の現場に、もうAIは来ている。放送にも字幕の自動生成が入り、法廷にも録音反訳が増えた。イコマさんは、自動字幕がよく転ぶ場面を淡々と挙げた。被せて喋るところ、固有名詞、笑いの混じる声。私が法廷で機械の転ぶところとして覚えているのと、ほとんど同じだった。人が残る場面は、二つの現場で同じ形をしていた。私たちは互いの実感を、声を大きくするでもなく、確かめ合った。

休憩のあと、打鍵を見せ合った。私は符号のテープを広げ、彼女は画面を私に向けた。私の紙には、日本語ではない記号が並んでいる。彼女の画面には、出たそばから流れていく文字が並ぶ。残る紙と、流れる画面。けれど、少ないキーを和音で打つという思想は、三十年の差をまたいで、まったく同じだった。道具の見た目はこれほど違うのに、指が覚えていることは一つだったのかもしれない。

イコマさんが、私の符号を指して訊いた。これは、あとで全部、日本語に戻すんですか。戻します、と私は答えた。彼女は少し黙って、私たちは出したら戻せないので、と言った。その一言が、二つの仕事の差を、たぶん一番正しく言い当てていた。戻せる速記と、戻せない字幕。同じ速さで音を取りながら、私たちは時間の向きが違う場所に立っていたのだと思う。

帰り道で、私はずっと考えていた。三十一年、自分の符号は世界に一人で立っていると、どこかで思っていた。消えてゆく職業の、最後の世代のひとりだと。けれど今日、別の文字を持つ人が、同じ速さで、同じ和音で、隣に座っていた。私の符号の隣には、ずっと同じ仕事があったのだ。道具も時代も違うのに、音を文字にしようとする手つきだけが、同じだったのだと、いまでは思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。