符号の、指(第二稿)
法廷に立った年、音を書けと教わるまで

クレハマドカ(53歳・裁判所速記官31年)

裁判所の速記官を三十一年やってきた。ソクタイプという機械で、法廷の言葉を符号に書き取り、あとから日本語に戻して調書にする。キーは普通のタイプライターより少ない。その少ないキーを、和音のように同時に押す。ひとつの音が、指の組み合わせひとつだ。

養成所では、左手で頭子音、右手で母音を分担して打つ。「さ」は左の中指と人差し指、「し」はそこに右の小指が加わる。組み合わせを取り違えると、テープには別の音が並ぶ。最後まで指に馴染まなかったのは、撥音と促音の連なりだった。「った」「んだ」が続くと、右手の戻りがわずかに遅れる。

一九九五年、二十二歳。養成所を出て初めて法廷に座った日、最初の証人が早口の不動産業者で、語尾を飲む癖があった。「~でして」の「て」が消える。消えた音を補おうと一瞬考えた。その瞬間、次の一文がまるごと指を素通りした。テープには、空白がひとつ残った。

教官の言葉を思い出したのは、その空白を見たときだ。「言葉を書くな。音を書け。意味は後から付いてくる」。意味を考えると、指が遅れる。「この人は何を言いたいのか」と思った瞬間、音は通り過ぎる。聞きながら、考えない。耳に入った音を、考えるより先に指へ渡す。聞くことと、分かることを、切り離す。

反訳の時間に、手放した意味が戻ってくる。法廷が終わって、符号のテープを前に、記憶と照らしながら日本語に直していく。あの言いよどみは、ここで切れていた。あの空白は、飲まれた「て」だった。音として書き取ったものに、ようやく意味を返してやる。聞くときに捨てたものを、ここで拾い直す。

泣いている証人を書き取ったことが、何度かある。泣き声では、言葉が崩れる。母音が伸び、語尾が途切れ、息継ぎが言葉を割る。崩れたものを整えてはいけない。伸びた母音は伸びたまま、途切れたところは途切れたまま、聞こえた音だけを符号にして、聞こえなかったところには間の符号を置く。同情して手を止めれば、その分の音が消える。心が動いても、指の速度は変えない。それだけのことだった。

新しい速記官の養成は、ある年から止まった。録音とAIに引き継がれていったからだ。私の課には、かつて六人の速記官がいた。いまは二人だ。空いた四つの席に、それぞれ別の部署の書類が積まれている。研修に来る後輩はもういない。撥音の戻りの遅れも、誰にも渡せなかった。

それでも呼ばれる仕事がある。重なった声、くぐもった音声を、機械は取り違える。録音を何度再生しても聞き取れない箇所を、その場でこの耳で聞いていた者が判別する。先月も、法廷の隅で交わされた小声の確認に、私が呼ばれた。機械が空白にした音の前で、私の耳が要る。三十一年で直した音は数えていない。覚えているのは、空白にせずに残せた音のほうだ。飲まれた「て」。崩れたまま書いた、泣き声。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。