駐車場の、番号
客が毎日見る線を引くということ

クリハラダイスケ(42歳・路面標示施工18年)

道路の線は、誰も見ていない。走る人の視界の隅を、ただ通り過ぎていくだけだ。だが駐車場は違う。スーパーの区画線も、月極の番号も、客が毎日その前に立ち、見下ろす。見られる線というのは、引いていて、どこか落ち着かないものだ。

駐車場の区画線は、幅十センチと決まっている。道路の外側線と同じ太さだ。一台分の枠を、白い十センチで囲っていく。チョークで墨を打ち、その上を溶融材でなぞる。一区画はおよそ二・五メートル掛ける五メートル。その四角を、一日に何十も引く。引きながら、ここに誰の車が入るのだろう、とふと思うことがある。

商業施設の発注者は、注文が細かい。「番号をもう少し大きく」「線がわずかに曲がっている」。道路の現場では一度も言われたことのない言葉だ。客が毎日見るから、発注者も毎日見ている。番号の書体まで指定が来る。角ゴシックで、と図面に書いてある。私はその図面の通りに、型板を伏せて数字を流す。1、2、3。誰のものでもない番号を、順に。

月極駐車場の番号は、少し意味が違う。あれは契約者の「自分の場所」になる。「7番」と言えば、その人の車が毎晩そこに帰ってくる。白い線一本で囲まれた四角が、いつのまにか誰かの場所になっている。線を引いただけの私が、知らない人の居場所を、地面の上に作ってしまったような気がする。

月極の白線は、区画ごとに薄れ方が違う。毎日出入りする区画の番号は、タイヤと足で踏まれて早く薄くなる。長く乗らない車の区画は、いつまでも白い。番号の濃淡を見れば、どの車がよく動いているか、なんとなくわかる。引いた線が、住む人の暮らしを記録してしまう。

一度、月極の契約者らしい人から、管理会社を通さずに直接電話が来たことがある。「自分の区画の番号だけ薄くなったので、そこだけ濃く塗り直してほしい」と。気持ちはわかる。自分の場所の番号がかすれていくのは、寂しいものなのだろう。だが、断った。発注者は管理会社で、契約者ではない。私が応じる相手を間違えると、線の意味が崩れる。誰の依頼で誰の場所を引くのか。そこだけは曖昧にできない。

身障者用の区画には、青を塗る。車椅子の図記号も決まっている。塗布面積も、図記号の縦横比も、規格で定まっていて、勝手に小さくはできない。青の溶融材は白より扱いが難しく、色むらが出やすい。広い面を一度に流すので、固まる前にコテで均す手が忙しい。あの青は、ここは誰かのための場所だと、白よりも強く言っている。色が一つ違うだけで、線は急に発言しはじめる。

夜と昼は使い分ける。営業中のスーパーは、車を止めてもらわないと困るから、夜間に閉店後を狙って引く。月極は逆に、契約者が出払う日中に、空いた区画から順に流していく。車止めのブロックは、区画線の奥の端から六十センチの位置に据える。前輪ではなく後輪を当てて止めるための距離だ。誰も気にしない六十センチを、私はメジャーで毎回測っている。

白い線一本が、場所の権利を作るのだ。道路の線が誰のものでもないのに対して、駐車場の線は、引いた瞬間から誰かのものになる。私は線を引く人間だが、本当は、見えない区切りを地面に翻訳しているのかもしれない。今日もどこかの月極で、私の引いた番号の前に、知らない誰かの車が、当たり前のように帰ってくる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。