クリハラダイスケ(42歳・路面標示施工18年)
道路に白い線を引いて十八年になる。横断歩道、停止線、「止まれ」の文字。誰もが毎日その上を歩き、踏み、通り過ぎていくのに、それを引いている現場を見た人は、たぶんほとんどいない。引く瞬間は深夜で、終わる頃にはもう、線は誰かの足の下にあるからだ。
路面標示には溶融式という工法がある。粉末の樹脂を釜で溶かし、どろりとした白を路面に流して引く。インクのように薄いのではなく、爪の半分ほどの厚みがある、立体の白だ。指で触れば段差がわかる。雨の日にタイヤがその段を踏むと、車内に小さな音が返ってくる。あれは平らな絵ではなく、路面に貼りついた一枚の壁なのだ。
二〇〇八年、施工一年目の夏だった。配属されてまだ右も左もわからない私に、先輩は横断歩道の引き直し工事を任せた。古い線は長年踏まれて、ところどころ消えかけ、白というより灰色に近かった。新しく引く前に、まずプライマーという下塗りを刷く。これを忘れると、せっかくの白がひと冬で剝がれて浮いてしまう。
そのとき先輩に言われて意外だったのは、「古い線は完全には消すな」ということだった。消えかけた灰色の線を、わざと残す。残った線が、新しい線を引くときの型になるからだ。位置も、間隔も、消えかけた線がぜんぶ覚えている。私たちは新しい白を引いているようでいて、実のところ、誰かが何年も前に引いた線を、もう一度なぞっているだけなのだった。
釜の温度はおよそ二百度ある。流した白は数分で固まる。夜の道路に、引いたばかりの白線がぼうっと浮かび上がり、街灯にてらてらと光るその瞬間は、なんとも言えず美しかったように思う。施工用のシューズはすぐ白く汚れる。何をどう気をつけても、爪先に塗料が乗る。あの白は、洗っても落ちなかった。
線を引き終えると、最後にガラスビーズという細かい反射材を、固まる前の白の上に散布する。これがあるから、夜、車のライトが当たると線が光って見える。ビーズは指でつまむと砂のようにこぼれる。昼間に見る白線が、夜になぜ光るのか——その答えを、私はこの仕事に就くまで一度も考えたことがなかった。世界は、考えたことのない仕組みでできていた。
「止まれ」の文字を路面に書くときには、型板を使う。あの文字が縦に間延びして見えるのは、わざとだ。寝かせて路面に置いた字を、運転席の低い視線から斜めに見ると、間延びした字がちょうど正しい比率に縮んで読める。歩く人のためではなく、走る人の目の高さのために、文字はあらかじめ歪ませてある。誰のために引くのかで、線の形は変わる。
夜通しかけて引き終え、規制帯のカラーコーンを片づける頃には、空が白み始めていた。そして朝、私たちが引いたばかりの白線の上を、通勤の車が何台も、何のためらいもなく踏んでいった。誰も白線を見ていなかった。当たり前にそこにあるものとして、ただ踏んで過ぎていった。けれど、もしこの線が消えていたら、その全員が、たぶん気づくのだ。
あの夜から十八年、私は路面の線を見る人間になった。出張先でも、休日に家族を乗せて運転していても、つい消えかけた停止線を目で追ってしまう。誰も見ない線を引き続けてきたこの仕事が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日もどこかで、誰かが私の引いた線を、見もせずに踏んで過ぎていく。それでいい。気づかれないことが、うまく引けた証なのだから。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。