十六歳、初めて番台に座った日(第二稿)
父に言われて座った、あの高さから

クロダシゲル(72歳・元銭湯主人)

番台は、脱衣場の床より三尺ほど高い。腰掛けると客の頭が目の下に来て、男湯と女湯が一度に視界に入る。私はそこに十六から六十五まで座った。一九七〇年の冬から、二〇一九年に湯を落とすまでだ。

初めて座った夜、父は熱で寝込んでいた。布団から「今夜だけ座ってろ」と言われ、釜の焚き方も知らないまま番台に上がった。大人四十五円、子ども十五円の時代だ。母が枡の手前に十円玉、奥に五円玉と一円玉を分けて並べてくれた。「釣りはここから出すんよ」。それだけ教わって、五時に暖簾を出した。

下足箱の木の札を、客が一枚抜く。その番号と同じ脱衣籠を覚えておく。それが番台の最初の仕事だ。一人目で早くも、誰がどの札かが分からなくなった。二人三人と重なると、もう追えない。客は勝手に自分の籠を使い、私だけが慌てていた。段取りに溺れて、最初の一時間は誰の顔も見ていない。

七時を過ぎて、客の波が引いた。手が空いて、初めて脱衣場を見渡した。脱いだ服と一緒に、人は肩書きも籠に置いていく。米屋も、大工も、町会の会長も、ケロリンの黄色い桶を持てば、同じ裸の背中だった。番台の高さからは、どれが誰だか、もう分からない。

その中に、中学の教師がいた。廊下で会えば背筋が伸びる、生徒に恐れられた先生だ。その先生が湯から上がり、冷蔵庫の前で腰に手を当て、フルーツ牛乳を一本、喉を鳴らして飲み干した。私は番台から、つい「こんばんは」と言いそうになって、やめた。先生は私に気づいていない。気づかれずに見ている自分がいた。会釈を返す側ではなく、返されもしない側に、私はその夜、座っていた。

男湯の声は低く、途切れる。女湯の声は高く、続く。番台は両方の真ん中だから、私には二つが同時に届いた。奥のボイラーが地鳴りのような音で湯を沸かしていた。十一時、最後の客が出た。竿から暖簾を外し、湿った布をたたむ。母がやるのを見たとおりに、四つに折った。腕にかかる重さだけは、見ただけでは分からなかった。

枡を締めると、十円玉が三十枚と少し。父の寝床に持っていくと、父は枚数を見ただけで「今日は四十人ちょっとか」と言った。当たっていた。番台に半世紀座って、私もそれが分かる男になった。

店は二〇一九年に閉めた。直した湯加減も、覚えた客の顔も、もう数えられない。覚えているのは、初日の枡の小銭の分け方と、フルーツ牛乳を飲む先生に、会釈を返しそびれた手のことだ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。