クロダシゲル(72歳・元銭湯主人)
銭湯の番台というのは、客より少し高いところにある。腰掛けると、脱衣場の床が目の下に来て、男湯と女湯の両方が、ひとつの視界に入る。私はその高さに、十六から六十五まで座り続けた。二〇一九年に湯を落とすまで、半世紀である。
初めてそこに座ったのは、一九七〇年、高校一年の冬だった。三代目になる前の、ただの倅だった私が、なぜその夜だけ番台に上がったのか。父が風邪で寝込んだからだ。熱を出して唸っている父が、布団の中から「今夜だけ座ってろ」と言った。それだけで、私は店の暖簾の内側の人間になった。
夕方の五時、暖簾を出すと、湯気が表へ流れ出ていく。湯気の向こうに、暮れていく昭和の町が霞んで見えた。下足箱の木の札を、客が一枚ずつ抜いていく。あの乾いた音が、いまも耳に残っている。番台の前には小銭を入れる枡があって、十円玉と五円玉が、客の数だけ溜まっていった。
番台から見ていて、いちばん驚いたのは、人が服を脱ぐと、肩書きも一緒に脱ぐということだったと思う。脱衣場には、町の偉い人も、職人も、子どもも、みんな同じ裸でいた。ケロリンの黄色い桶を抱えて、誰もが同じように湯に向かっていく。誰がどんな人間かは、番台の高さからは、もう分からなくなる。
その夜の客に、中学の教師がいた。生徒に恐れられている、厳しいことで有名な先生だった。私もその顔は知っていた。廊下で会えば背筋が伸びる、そういう人だ。その先生が、湯から上がって、火照った体で冷蔵庫の前に立ち、フルーツ牛乳を一本抜いて、腰に手を当てて、ぐいと飲んだ。喉が鳴っていた。番台から見下ろすと、ただの、風呂上がりの男だった。
その瞬間に、私の中で何かが切り替わったのだと思う。それまで私は、見られる側の子どもだった。先生に見られ、大人に見られ、町に見られて育った。けれど番台の上では、私が見る側だった。フルーツ牛乳を飲む先生を、誰にも気づかれずに見ている自分がいた。見るというのは、こういうことか、と十六の私は思った。
男湯と女湯では、聞こえてくる声が違う。男湯は低く、ぽつりぽつりと途切れる。女湯は高く、よく続く。番台は両方の真ん中にあるから、私はその二つの声を、同時に聞いていた。奥ではボイラーが、地鳴りのような音で湯を沸かし続けていた。あの音がしている限り、町は今日も無事なのだと、子ども心に安心したものだ。
夜の十一時、最後の客が出ていくと、私は暖簾を仕舞った。竿から外して、たたんで、湿った布の重さを腕に感じる。父はいつもこうしていたのだ、と思いながら、見よう見まねでたたんだ。その手つきを、私はその後五十年、繰り返すことになる。
あの夜から、私はずっと番台に座ってきた。商売としては、とうに時代に合わなくなって、二〇一九年に店を閉めた。けれど、いまになって思う。十六のあの冬、父に言われて座ったあの高さが、私をいまの私にしてくれたのだ、と。見る側になるということ。それを、私は番台の上で覚えた。湯は落としたが、あの高さの記憶は、まだ私の腰の下にある。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。