クロギタケル(56歳・炭焼き職人34年)
山の木を炭に変える仕事を、三十四年続けてきた。窯の中は、火を入れたら最後まで見えない。土と石で塗り固めた窯に小さな焚き口があるきりで、中で何が起きているかは、煙突から立つ煙の色と匂いでしか読めない。山と生きる男には、それで十分なのだと思う。
一九九二年、二十二歳のとき、山里の製炭所に弟子入りした。焼くのはウバメガシの白炭、備長炭の系統だ。原木を伐り、窯に詰め、火を入れ、何日も番をして、真っ赤になったところを掻き出す。簡単に書けば四つの工程だが、そのどれもが、覚えるのに何年もかかった。
原木は、山から択伐で採る。一本残らず伐ってしまえば、その山は十年使えなくなる。親方は「切りすぎるな」とだけ言った。どの木を残すかは、たぶん長年の勘なのだろう。私は最初の年、言われるまま斧を入れていた。ウバメガシは堅い。堅い木でなければ、あの金属のように鳴る炭にはならない。
窯詰めが、最初の難関だった。原木は寝かせるのではなく、立てて詰める。びっしり立てて、しかし詰めすぎてもいけない。火の通り道を、木と木のあいだに設計してやる。詰めの密度が焼きむらを決める。私が詰めた窯はむらだらけで、親方は黙って詰め直した。その手つきを、ただ見ていた。
火入れのあとの数日は、口焚きといって、焚き口で薪を燃やし続け、窯の温度をゆっくり上げていく序盤の番だ。眠い。夜通し薪をくべる。このころの煙は、白い。もうもうと白い。木の中の水分が、湯気になって抜けていく時間だと教わった。
弟子入りして間もないある夜、私は焚き口の様子が気になって、窯の中を覗き込もうとした。親方の声が飛んだ。「窯の中は見るな。見えん。煙を見ろ。白から青、青から透明。透明になったら出すんだ」。それだけ言って、親方はまた煙突を見上げた。中は見えない。だから、外を見る。あの夜の言葉が、私の仕事の全部だったのかもしれない。
白い煙はやがて、青みを帯びてくる。水が抜けきって、木そのものが炭に変わりはじめた合図だ。青がだんだん薄くなり、ある瞬間、煙はほとんど透明になる。陽炎のように揺れるだけで、色がない。そこが、窯出しの合図だった。早すぎれば生焼け、遅すぎれば灰になる。透明の見極めは、たぶん私にしか分からない領域に、いつのまにか入っていた。
窯出しは、灼熱だ。焚き口を開けると、中は一面の赤い炭。鉄の道具で掻き出し、外で灰と土をかけて一気に消す。白炭の「白」は、この灰をまとった色から来ている。顔が焼ける。眉が縮れる。掻き出した炭を一本折ってみる。断面が銀色に光り、叩けばキンと金属の音が鳴る。いい炭だった。
あれから三十四年。私は窯の中をいまだに見たことがない。見えないものを、煙の色で読み続けてきただけだ。白、青、透明。その移ろいを見る人間に、私はなった。窯の中は見るなと言ったあの夜の煙の色が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も煙突から、白い煙が立ちはじめている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。