クロギタケル(56歳・炭焼き職人34年)
炭の話をすると、たいてい窯のことを訊かれる。だが窯に入れる原木は、その十数年前から決まっている。どの尾根を、何年目に伐るか。山を読むのが先で、窯はそのあとだ。
借りているのはウバメガシの山だ。十二の区画に区切り、年に一区画ずつ伐る。十二年で一周して、最初の区画に戻る。そのころには、伐った株から立ち上がった芽が、根元の直径で十センチほど、炭になる太さに育っている。暦どおりに回せば、山は涸れない。回す順を間違えた年が、十二年後に空く区画になって返ってくる。
区画の中を全部伐るわけではない。択伐という。株から細い芽が二、三本出ている木は残す。伐れば次が出ない。曲がっていても太い木は残し、まっすぐでも若い木は先に伐る。基準は単純で、覚えるのに時間がかかったのは、鋸を当てる前にそれを思い出す癖のほうだった。
伐るのは冬だ。葉が落ちて、木が水を吸い上げなくなった木でなければ、いい炭にならない。急斜面では、まず生きた太い木にワイヤーを巻く。切り株では抜ける。倒す前に滑車を一つかませ、谷へ走ろうとする木を、ワイヤーの張りで受けながら一尺ずつ下ろす。手袋越しに張力が伝わる。ワイヤーが低く鳴ったら、巻きが甘い。巻き直す。木が斜面を素直に下りた日は、汗より先に、その音で分かる。
倒した木は、その場で玉切りにする。窯の内寸に合わせて、九十センチ。棒を当てるまでもなく、足を二つ並べた長さだ。長さがそろっていないと、立てて詰める窯にうまく入らない。切り口に鼻を寄せる。冬の木は、水の匂いが薄い。夏に伐った木とは、切り口の濡れ方が違う。だから冬に伐る。
玉切りした木を、山から窯まで下ろす。急なところは滑車で、なだらかになれば軽トラックの荷台に積む。背負子で担ぐところもまだ残っている。機械の入らない山は、いまも人の背中で下りてくる。一日かけて運べる量は、窯一つ分にも足りない。それでも運ばなければ、火は入れられない。
この山は私のものではない。山主から借りている。証文はない。先代の山主と先代の親方が、貸し賃は焼いた炭で年に一俵、と決めた。それを私と、いまの山主が継いでいる。境界は、谷筋と一本の大きなウバメガシで分かる。伐ったあとは蔓を払い、崩れた歩道を直して返す。返さなければ、来年から貸してもらえない。それだけのことだ。
春になると、伐ったばかりの区画を歩く。切り株を一つずつ見る。芽が出ているか。出ている株は、十二年後にまた鋸を入れられる。出ていない株が、見立てを誤った数だ。今年は二つあった。その二つの前にしゃがんで、何を読み違えたかを考える。炭の話を訊かれても、私はまず、この春の山を歩く。