クルスアオイ(26歳・ゲームセンターの景品担当6年)
夜十一時、シャッターを半分だけ下ろすと、店から音が引いていく。BGMが落ち、コインの落ちる音がやみ、最後にアームのモーターの唸りが消える。客がいるあいだは一度も聞こえなかった静けさのなかで、眠りについた機械たちが小さく息をしている。私はその一時間で、明日の台を整える。
最初にやるのは爪のゴムの交換だ。アームの爪の内側には、景品を掴むためのゴムが貼ってある。これがすり減ると、掴んだ景品が滑って落ちる。客は「設定がきつい」と思うけれど、半分は消耗品のせいだ。爪を指で挟んで引くと、ゴムが艶を失っているのが分かる。新しいゴムは黒くて、指に吸いつくような気がした。すり減ったほうは、なんだか役目を終えて少し疲れているようにも見えた。
交換したら、自分で一回だけ取ってみる。試運転だ。百円を入れ、ボタンを押し、アームが下りて、爪が閉じる。掴んで、持ち上げて、運んで、開く。この一連の動きを、客になったつもりで体で確かめる。爪が閉じきるまでのコンマ何秒、持ち上げる速さ、運ぶときの揺れ。数字の設定表には出てこない「取れ方の感触」が、手元のレバーから伝わってくる。一回で取れたら設定が甘いかもしれない、と思う。
次にガラスの内側を拭く。一日ぶんの手垢が、ガラスの内側についている。これがけっこう、客層を映している。フィギュア台の手垢は胸の高さに集中して、指でこすった跡が縦に伸びている。家族台の手垢は低い。子どもの手の跡が、大人の腰くらいの高さに、ぺたぺたと点になって残っている。背伸びをした跡なのか、上のほうにも小さな手形がひとつあった。私はそれを最後に拭いた。
硬貨を回収して、計数機にかける。バックヤードの計数機は、硬貨を流し込むと、ジャラジャラと音を立てながら数えていく。昼間なら聞こえないこの音が、夜は店じゅうに響く。今日の売上が、音の長さで分かる。長く鳴る日もあれば、すぐ止まる日もある。計数機の音だけが、無人の店で働いているような気がした。
棚卸しもこの時間にやる。バックヤードの在庫の段ボールを開けて、リストと照らし合わせる。同じキャラのぬいぐるみが、リストでは三十、実際には二十八。二つ足りない。たぶん今日、補充で出して書き忘れたぶんだ。鉛筆でリストの数字に二本線を引いて、横に書き直す。在庫の数は、その景品があと何日もつかの数字でもある。
一周して回ると、機械の微かな音が聞こえることがある。営業中には絶対に聞こえない音だ。あるとき、奥から二台目のアームが、戻るときに「キッ」と短く鳴った。レールのどこかが乾いているのかもしれない。変な音は、たいてい故障の前触れだ。私は付箋に台の番号を書いて、その台に貼った。閉店後の静けさは、機械が私に話しかけてくる時間でもあるのかもしれない。
朝礼では「昨日の取れ方」を数字で共有する。どの台が何回で何個出たか。取れすぎた台は握力を下げ、取れなかった台はゴムを疑う。開店前にもう一周して、爪を確かめ、角度を直し、ガラスを最後にもう一度見る。閉店後の一時間が、明日の台を作るのだ。客がいない時間にこそ、台はいちばん正直な顔をしている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。