ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)
毎年、五月の最終日曜日が近づく。自治会の回覧板、「草むしりについて」が回ってくる。手書きの文字は、今年も朝七時集合、場所は公民館の裏手と告げている。読み慣れた文面に、ため息が漏れる。
まだ空が薄い群青色のうちから目が覚める。古い軍手をはめ、移植ごてを片手に公民館へ。朝露で湿ったアスファルトの道を歩きながら、隣近所の家々の表札を目で追う。真新しい銀色のプレート、木彫りの色褪せたもの、二世帯で苗字が二つ並ぶ家。それぞれの表札の奥に、今朝も布団から出ずにいる人の顔を思い浮かべる。今年もあの家は来ない。足腰が悪いと聞いた奥さんの家は、仕方がないか。
公民館には、いつもの顔ぶれが十数軒。総勢三十軒のうち、参加するのは毎年十二軒ほど。顔を合わせれば軽く会釈はするが、多くは語らない。皆、黙々と草むしりを始める。しつこいカタバミの葉を、親指の爪で押しつけ、根元から引き抜く。スギナは地下茎が深く、引くとブチリと途中で切れる感触が指に伝わる。茎の太いオヒシバは、土を蹴り起こすように掘り起こさねばならない。背を屈め、土の匂いを嗅ぎながら、一本ずつ、一本ずつ。抜き取った草を、名古屋市の黄色い燃えるゴミ袋に詰める。袋が重みを増すたび、腰に鈍い痛みが走る。
残りの十八軒は、今年も姿を見せない。高齢で免除されている五軒は規定通りだ。新興住宅地の三軒は、引っ越してきたばかりで地域の付き合いに無関心なのだろう。そして残りの十軒。十五年前には確かに来ていた家が、今はない。皆それぞれの事情があるのだろうが、この差を数える癖は、今更止められない。
一時間半ほどで作業は終わる。額から流れ落ちる汗が、目尻で塩辛く滲んだ。配られるのは、いつものボスレインボーマウンテンブレンド。それと、近所の「梅花堂」の菓子折り。自治会全戸分を、後ほど班長が配って回る手筈になっている。来ない家の玄関先に、この菓子折りを置く。その手つきは、いつもぎこちない。
今年の草むしりも終わり、自宅の庭で椿の剪定をしていたときのことだ。先日、自治会に越してきたばかりの若い夫婦が、通りかかった。三十代くらいだろうか。彼らが私に声をかける。「ワタナベさん、お疲れ様でした。来年は、私たちも手伝わせてください。」
私は、一瞬言葉を詰まらせた。剪定鋏を握る手に、ふと力がこもる。彼らの真新しい笑顔と、自分の中に膨らむ期待と、同時に湧き上がる警戒心。その全てが、椿の硬い枝を切る音と一緒に、夕方の空気の中に溶けていった。