水準の、道(第二稿)
高さを、道に沿って運んでいく仕事のこと

クシダハヤテ(33歳・測量士10年)

角度や距離の話は前に書いた。今日は高さだ。高さを測る測量を、水準測量という。レベルという望遠鏡を三脚に据え、前後に立てた標尺の目盛りを読む。後ろの点の高さがわかっていれば、読みの差だけ前の点が高いか低いかが出る。それを点から点へ、何百メートルも運んでいく。後ろの確かさだけを頼りに、前へ。それの繰り返しだ。

水準測量には決まりがある。行きと帰りで同じ道をもう一度測る。出発点に高さが戻ってこなければならない。一周して、最初の高さと最後の高さの差を閉合差という。距離に応じて、許される閉合差が決まっている。先週の現場では、二キロを往復して四ミリ出た。許容は六ミリ。収まった。収まらなければ、どこかの読みを疑い、その区間をもう一度歩く。収まるまで歩く。それだけだ。

標尺は相棒が担ぐ。私がレベルを覗き、十字線が目盛りのどこに掛かるかを読む。風があると標尺は微かに揺れる。だから止まるのを待つ。揺れの上端と下端の幅が消えて、目盛りが一本の線に静まった、その刹那に読みを取る。「一・四七二」。声に出す。相棒が前へ進み、私も三脚をたたんで追う。据えて、待って、読んで、また進む。視準距離はおよそ五十メートル、私の歩幅で七十歩。今日は二十六区間あった。足の裏が、距離計より先にそれを覚えている。

交通量の多い道は、朝が早い。車のまだ少ない時間に、危ない区間を抜けてしまう。長く組んだ誘導員とは、口に出さない。彼が標尺を立てきって、片手を下げる。立った、という合図だ。私はその手が止まるのを見て、レベルに目を戻す。彼の手が止まり、標尺が静まり、私が読む。三つの止まりが重なった一瞬にだけ、数字は取れる。呼吸を合わせる、と人は言うが、実際に合わせているのは、止まる瞬間のほうだ。

地盤沈下の監視という仕事がある。地下水を汲みすぎた地域では、土地が少しずつ沈む。私は毎年、同じ季節に、同じ点を測る。去年の記録簿を開いて、今年の高さと引く。マイナス三ミリ。記録簿には前任者の字があり、そのまた前の人の字がある。マイナス二、マイナス四、マイナス三。同じ点を、人が代わっても測りつづけた縦の列が、ミリ単位の数字でそこにある。十年で三センチ。誰も騒がない速さで、土地は沈んでいる。

高さは、道路の至るところで基準になる。マンホールの蓋をどの高さに合わせるか。橋の取り付け道路を、どんな勾配ですり付けるか。雨水がどちらへ流れるかは、ミリの差で決まる。だから私が運んだ高さは、図面の数字で終わらない。蓋を踏んでも揺れない、その平らさになる。橋の入り口に段差がない、その当たり前になる。

現場を見ていた子どもに、高さってどこから測るんですか、と聞かれた。地面から、と答えた。それでよかった。けれど帰り道、ひとりで思った。日本中の高さは、東京湾の平均海面をゼロとして測られている。波で上下する海面を、長いあいだ測りつづけて平均した、誰も立てない一枚の面。今日読んだ一・四七二も、たどっていけばその水面につながっている。地面からです、と子どもには答えた。その地面が何の上に乗っているかまでは、言わなかった。

歩いて、据えて、待って、読んで、また歩く。行きと帰りの高さが閉じて、許容のうちに収まったとわかったとき、私は小さく安堵する。今日も二キロを往復して、四ミリで閉じた。記録簿に書く。マイナス三ミリ。前任者の字の下に、私の字で。誰も立てない水面から運んできた高さを、誰も気づかないまま、次の年へ渡す。今日も私はレベルを据え、止まった標尺を待ち、高さをひとつ、前へ運ぶ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。