書き損じはがきの、一月
交換の列が終わると、町の正月が終わる

クスノキヒナコ(52歳・郵便局窓口係30年)

一月の光が、窓口に斜めに差し込んでくる。松の内が明けたころから、書き損じた年賀はがきを交換しに来る人が、ぽつりぽつりと続くようになる。手数料を払えば、書き損じや未使用のはがきは、切手やはがきに交換できる。私はその交換を、毎年一月のあいだ、ずっと受け持っている。

差し出される書き損じには、種類がある。宛名の一字を書き間違えた一枚。裏面の印刷を、自分の家のプリンタで刷り損ねた束。それから、まれにだけれど、「あけましておめでとう」と書いてしまってから、相手が喪中だったと気づいた一枚。差し出す人は、たいてい何も言わずにそれを出す。

私がするのは、枚数を数えることと、手数料を計算することだけだ。間違いの中身には触れない。触れてはいけないことになっている。一枚ずつめくって、未使用か、書き損じかを見分け、束の枚数を確かめ、料金を出す。それが、一月の窓口の仕事のかなりの部分を占める。

交換の手数料は、長いあいだ一枚五円だった。それが、いつだったか、六円に上がった。たった一円のことだけれど、五十枚を交換しに来た人には、五十円が三百円になる。私は新しい料金表を貼り替えながら、この一円を、何人の人に説明することになるのだろう、と思ったのを覚えている。

未使用と書き損じの区別は、案外むずかしい。一見きれいに見えるはがきでも、宛名面の隅に、ボールペンの試し書きのような線が一本入っていることがある。それは書き損じだ。逆に、裏が真っ白でも、料額印面に消印が押されていなければ、未使用として扱える。私は一枚ずつ、その境目を見ている。

あの喪中に気づいた一枚を出した人は、若い男の人だった。表書きは伏せてあって、私は枚数だけを数えた。「一枚、書き損じですね」。私が言えたのは、それだけだった。手数料の六円を受け取り、新しいはがきを一枚渡した。彼は、礼を言って帰っていった。私は、その一枚に何が書いてあったのかを、見なかったことにした。けれど、見なかったことにする、というのは、見てしまった、ということでもある。

一月の半ばを過ぎると、お年玉くじの当選番号が発表になる。すると今度は、当選番号を照合してほしいという人が来る。私は番号表と、客の差し出すはがきの隅の番号とを、一桁ずつ見比べる。たいていは末等の切手シートだ。当たっていれば、私はそれを渡す。書き損じの交換と、当選の照合と、一月の私の手元には、いつも誰かの一年の最初の数字が並んでいる。

一月の下旬になると、窓口は急に静かになる。交換の列も、照合の客も、潮が引くようにいなくなる。残るのは、切手のバラ売りを求める常連の人くらいだ。一枚、二枚と切手を数えて渡しながら、私は、ああ、町の正月が終わったのだな、と感じる。

書き損じの束が、町の正月の終わりを告げるのだ。誰かが新年に書き損じ、誰かがそれを手数料を払って交換しに来る。その営みが一巡すると、また日常が戻ってくる。九十センチの窓口は、町の一年の始まりの、書き直しの場所なのかもしれない。私はそれを、枚数と手数料で受け取り続けている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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