クスノキヒナコ(52歳・郵便局窓口係30年)
切手の額面で季節がわかる。慶事用の絵柄が出れば秋口、お年玉付き年賀はがきの予約表が回ってくれば暮れ。窓口の幅は九十センチ。私はその九十センチの内側で三十年、宛先と重さと枚数と料金だけを見てきた。中身は読まない。読んではいけないことになっている。
それでも、十一月になるとわかってしまう束がある。喪中はがきだ。私製で刷る人が多いから、官製はがきより一枚が重い。束ねて持ち込まれると、同じ枚数でも年賀の束より、はかりの針が一目盛り余分に行く。
一九九六年、窓口に立って初めての十一月だった。最初に受け取った喪中はがきの束は、輪ゴムで二重に留めてあった。いちばん上の一枚、差出人の欄の名前の下に、刷られた一文字。「母」。それだけが、はっきり見えた。読まないと決めていても、刷ってある字は目に入る。
はかりに載せた。私製はがきは一枚六グラムを少し超える。五十枚で三百グラム余り、定形外ではなく、第二種のはがき扱いで通る重さだった。当時の喪中はがきは一枚五十円。差出人は切手を貼っておらず、窓口で現金で払うと言ったので、五十枚分をまとめて精算し、料額印を押した。
「五十枚ですね」。私が口にしたのは、それだけだった。出した人は小さくうなずいた。それで終わりだった。窓口係にできるのは、針を読むことと、枚数を確認することと、印を押すことだ。「母」の一文字について、私が言えることは何もなかった。
その「五十枚ですね」という自分の声を、いまでも覚えている。あとにも先にも、束の枚数をあれほど慎重に数えたことはない。一枚一枚めくって数えながら、私はずっと、差出人の欄を見ないようにしていた。一度見てしまった字を、二度見ないようにするのは、案外むずかしい。
三十年で、束はいくつも通った。三十枚の束、二百枚を超える束。年賀の予約表を渡し、書留の控えを切り、番号札を呼ぶ合間に、私はそれらをはかってきた。喪中の束だけが、毎年、針を一目盛り余分に動かす。理由は紙の厚さだと、私は知っている。知っているのは、そこまでだ。
あの五十枚を、私は読まなかった。読めたのは、刷られた「母」の一文字と、はかりの針が示した三百グラムだけ。三十年経っても、私はそれ以上を読まない。九十センチの向こうから差し出される束を、私はこれからも、枚数と重さで受け取る。