年越しの、麺
大晦日だけ、家庭から注文が入る

クワバラジュン(40歳・製麺所三代目)

十二月になると、作業場の空気が少しずつ年の瀬の活気を帯びてくる。普段はラーメンの麺が主力で、蕎麦の打ち台は隅で眠っている。それが、大晦日の一日だけ、すべてがひっくり返る。

三十一日は、朝から蕎麦に追われる。中華麺の機械を止めて、蕎麦の段取りに切り替えるのだ。中華麺はかん水を入れてよく練り、ぐいぐい伸ばせる。蕎麦はそうはいかない。つながりにくい粉を、つなぎの小麦粉でようやく一枚にする。うちは二八——蕎麦粉八に小麦粉二の配合で、毎年これでやってきた。

切り替えはそれなりに手間がかかる。中華麺の打ち場をいったん片づけ、粉を払い、蕎麦用の打ち台を出してくる。番手の細い切刃に替える。この一日のためだけに、年に一度だけ動かす道具が、いくつもある。

そして、大晦日だけは、店の裏口ではなく、うちの店先に行列ができる。普段、製麺所に一般のお客さんが来ることはない。私たちはあくまで店に卸す商売だ。けれど三十一日だけは、近所の家庭が直接、生そばを買いに来る。一年で唯一、「家庭」から注文が入る日なのだと思う。

並ぶ人たちは、たいてい毎年同じ顔ぶれだ。家族のぶんをまとめて買っていく。私は生そばを新聞紙にくるみ、「茹で時間は一分半、釜揚げてすぐ冷水で締めてください」と書いた紙を一枚そえる。年に一度しか会わない人に、年に一度の説明書きを渡す。これが、なんだかいい時間なのだ。

夕方には粉が尽きる。打ち終えた蕎麦の最後の一枚を切り終えると、その年の仕事がすとんと終わる感じがする。表で誰かが「よいお年を」と言う。私も言う。年の瀬というのは、こういう一言で締まるものなのかもしれない。

元日は休む。三代続けて、この日だけは機械を止める。ただ休む前に、蕎麦を打った機械はきれいに掃除しておく。蕎麦の粉は中華麺に混じると風味が移るから、年に一度、いちばん念入りに洗うのが、元日前の最後の仕事になる。

そして一月二日。今度はうどんが動きはじめる。正月の胃に、蕎麦のあとはうどん——この土地には、そういう習いがある。三が日の終わりに向けて、うどん屋からの注文が増えていく。蕎麦の細い切刃を外し、また太い番手に戻す。

こうして年末年始は、蕎麦からうどんへと、麺の主役が入れ替わっていく。考えてみれば、私が毎年見ているこの数日の麺の動きは、町の食卓の暦そのものなのだ。家庭の年越し、休む元日、胃をいたわる二日。麺の動きを追っていれば、町がいま何を食べているかが分かる。今年もまた、店先の行列を眺めながら、私はそんなことを思っていた。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。