リンメイファ(台湾出身)
東京のアパートの隣人、五十代の男性は、もう八年になる柴犬を飼っている。初めて彼らに会ったのは私がこの国に来たばかりの頃で、男性はまだ四十代、足取りも軽やかだった。柴犬も若々しい毛並みで、しっぽを高く上げ、私たちに元気よく吠えていた。その頃の彼らからは、いつも活力が満ち溢れているように感じた。
八年の歳月は、季節と共に多くを変えた。最近、廊下で彼らとすれ違う際、私は立ち止まる。男性は背中が丸くなり、白髪が目立つ。犬も口元が白くなり、以前の勢いはない。彼らの散歩は、まるで二つの影が重なるようにゆっくりと進む。そして、互いの歩幅が、ぴったりと合っているのだ。
朝、ゴミ捨て場で会えば男性は軽く頭を下げ、犬は私の足元に鼻を寄せる。エレベーターを待つ間、世間話も。今日は肌寒いとか、雨が降りそうだとか、短い言葉のやり取りだ。その時、犬は男性の隣で静かに座り、会話を理解するかのように見上げる。男性の機嫌が悪い日は、犬も伏せがちで、目が合うと寂しそうな色を帯びているように思う。
台湾の祖母の家にも柴犬がいた。祖母が歳をとり、寝起きする生活になった頃、犬も一緒に年老いていった。祖母が亡くなる前の最後の一年、二匹とも以前より痩せていたのを思い出す。彼らの目の動きは、まるで一つの心のように、互いに似ていた。穏やかな記憶の中、その光景は深い感慨を与える。
生き物は、長い時間を共に過ごすうち、互いの姿を映す鏡となるのだろう。言葉を交わさずとも、同じ景色を見て、同じ道を歩き、時間を共有することで、自然と互いの呼吸やリズムが一体となっていく。隣の男性と柴犬を見ると、それを強く感じる。彼らはもはや、互いなしには成り立たない、一つの大きな生き物に見える。
東京のアパートの窓から、夕暮れの空を見つめる。今日も男性と柴犬は散歩から戻るだろう。彼らの歩調は、もはやどちらが先に進むのかわからないほど、完全に一つになっている。それは、長い年月が育んだ静かで確かな関係の証だ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。