京都とコペンハーゲン、二つの都市で教わらなかったこと(第二稿)
肩を貸すけど肩代わりしない、の対極と極北

横山(Y Lab 主宰)

京都に住んでいたころ、火曜の朝だけ少し早く家を出た。町内の集積所には緑のネットが畳んであり、透明の四十五リットル袋が六つ、口を同じ向きにそろえて置かれていた。私は弁当の仕切りや豆腐の容器をまとめて入れ、網をかぶせて仕事に向かった。夕方戻ると、自分の袋だけが端に避けられ、持ち手に細い紙が結ばれていた。

「一年住んだんやから、そろそろ覚えてもろてもええんとちゃうか」

向かいの家の女性はそう言って、紙片の赤字を指した。容器包装プラスチックは木曜だった。私は毎週そこに出していたらしい。回覧板も寄付の集金も回ってきたのに、その話だけが抜けていた。教わらなかったのではない。試されていた、と私はその場で決めた。ただ、その人は梅雨の強い雨の日、出し損ねた段ボールだけは黙って軒下へ寄せてくれていた。拒絶の一語では足りない。

コペンハーゲンでは、共同キッチンの流し台で別の種類の放置に会った。食器を拭くとき、私は布を蛇口で濡らして固く絞り、その布で皿をこすっていた。何日か繰り返したあるとき、同居の学生が「それ、濡らさなくていいよ」とついでのように言った。乾いた布のほうが早く拭ける。ずっと見ていたはずなのに、数日黙っていた。

バターの件は、もう少し分かりづらかった。共同の冷蔵庫には白い包みと黄色い包みのバターが並んでいて、私は手近だった白いほうを毎朝パンに塗っていた。ある日ふと、他の人は黄色いほうを使っていると気づく。「こっちとこっち、どっちを使えばいいの?」と尋ねると、「パンには黄色いほう(有塩)のほうが合う」と短く返ってきた。「じゃあ、なんで先に教えてくれなかったの?」と続けると、学生は少し考えてから、「それはそれでもいいかな、と思ってたから。困ってないなら口を出す理由がない」と言った。親切に聞こえるが、半分は無関心でもある。こちらの手つきが妙でも、台所は止まらない。

その街では、夜に若者が音を鳴らす場所が中心部に残っていた。壁の落書きはすぐには消えず、朝になるとビール瓶の破片だけが掃かれる。揉め事が大きくなれば警官は来るが、最初から更地に戻す手つきではない。京都の集積所で私が受けた視線は、段取りを覚える資格があるかを見る視線だった。コペンハーゲンの放置は、外れた動作をしばらくそのまま通す放置だった。両方とも手を出しすぎない。だが同じではない。ここは断言できる。

厄介なのは、私が前者を被害として読み、後者を寛大さとして読みやすいことだ。京都では、私は町の手順を覚える気のない新参に見えていたはずだし、コペンハーゲンでは、ただ相手にされていなかった場面もかなりあった。それでも身体に残る癖は分かれる。共同の場で誰かのやり方がずれて見えると、私はすぐ訂正しない。少し待つ。その待ち方が相手の余白を守っているのか、責任を薄く配っているだけなのか、まだ毎回あやしい。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。横山本人が書いた文章ではありません。