マチダリツ(49歳・フェリーの機関士19年)
フェリーの機関士になって十九年になる。乗客が甲板で海を眺めているとき、私はその足の下、何枚もの鉄板を隔てた船底にいる。主機関――船の心臓が、休みなく脈打っている場所だ。客室の静けさと、ここの轟音は、同じ一隻の船の中にあるとは思えない。
機関部に入ったのは二〇〇七年、三十歳の年だった。海技資格を取り、ようやく船底の世界に降りていった。最初に教わったのは当直――決められた時間、機関室を見張る仕事だ。計器盤がずらりと並んでいて、温度、圧力、回転数。針の群れが、心臓の鼓動をそのまま映していた、ように思う。
機関長は無口な人だった。エンジンの音で会話などできないから、無口にならざるをえないのかもしれない。耳栓をしていても轟音は腹に響いてくる。何か伝えたいときは、耳元で怒鳴るか、手信号だ。指を二本立てれば二番、掌を下に向けて押せば「落とせ」。私は最初の数週間、その手の言葉が読めなくて、何度も機関長に睨まれた。
当直は、ただ座って針を見ている仕事ではない。一定の時間ごとに巡回する。主機関の脇を歩き、補機を見て回り、潤滑油の量と色を点検する。油は人間でいう血液のようなもので、汚れや量の変化が、機械の不調を先に教えてくれる。私はそのころ、計器を信じることが当直だと思っていた。針さえ見ていればいい、と。
あるとき、機関長が私の肩を叩いて、機関室の床を指さした。鉄の床だ。意味が分からずにいると、耳元で怒鳴った。「計器を信じろ。でも計器の前に体が気づくことがある。振動の変わり目は尻で覚えろ」。それだけ言って、また自分の持ち場に戻っていった。私はしばらく、その意味を考えていた。
出入港のときは、スタンバイといって、機関部は総出で緊張する。ブリッジからテレグラフで指示が来る。前進微速、後進半速。針が動くたびに、私たちは弁を操作し、回転を合わせる。客には見えない攻防だ。船が岸壁にそっと寄っていくその裏側で、船底では汗だくの男たちが、心臓に鞭を入れたり宥めたりしているのである。
年に一度、ドックに入る。船を陸に上げて、主機関を分解する定期検査だ。普段は轟音をたてて回っているものを、ばらばらにして、一つひとつの部品を手に取る。シリンダーの内壁を撫で、傷がないかを見る。動いているときには絶対に触れられない心臓の中身が、静かに、油の匂いをさせて、目の前に並んでいる。あのときの静けさは、忘れがたいものだったと思う。
当直が明けて、デッキに上がる。何時間も轟音と熱の中にいた体に、海風が当たる。塩の匂いがして、耳鳴りの向こうに、波の音が戻ってくる。乗客にとっては当たり前の風が、私には値打ちのあるものに感じられた。同じ船に乗っていても、旅の時間を過ごす人と、当直の時間を生きる人がいる。その境目が、鉄の床一枚なのだと思うと、不思議だった。
あれから十九年。私はいまでも、床から伝わる振動の質が変わると、計器を見るより先に体が反応する。あの日、機関長が床を指さしてくれたことが、私をいまの私にしてくれた。乗客には見えない船底で、私は今日も、心臓の鼓動に耳を澄ませている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。