燃料の、計算(第二稿)
海の機嫌が、そのまま帳面の数字になる年

マチダリツ(49歳・フェリーの機関士19年)

毎航海、私は燃料の消費量を帳面につける。出港時のタンクの量、入港時の量、その差が一航海で食った分だ。同じ航路でも、数字は毎回違う。向かい風の日は、二番機の負荷が上がって、いつもより食う。時化で岬を大きく回った日は、距離が伸びるぶん、よけいに食う。凪の日は、思ったより残る。海がどんな日だったかは、私が甲板に出るまでもなく、入港時のタンクの数字で分かる。

港で燃料を積むのを、バンカリングという。燃料を積んだバージが横付けして、太いホースをつなぐ。量の確認は機関士の責任だ。私はホースの根元と、タンクの上の検尺口とのあいだを行き来する。バージ側の計量伝票と、こちらのタンクの増えかたを突き合わせる。何百キロリットルの単位だから、コンマ何パーセントの読み違いが、何十万円になる。流量計の数字が回りきるまで、私はその場を離れない。

去年から、会社が減速運航を決めた。燃料の値段が上がったからだ。ブリッジから「経済速力で」と来ると、私は主機の回転を、いつもの定格から二十回転ほど落とす。たった一割だ。それで、同じ航路の燃料消費が、帳面の上で二割近く減った。抵抗は速さで急に重くなるから、緩めたぶん以上に食わなくなる。ダイヤを十分ほど犠牲にして、会社はその二割を取った。到着の遅れに客は気づくが、二割のほうには、誰も気づかない。

一度、粗悪な油をつかまされたことがあった。積んだ翌日から、燃料フィルターの差圧計がじわじわ上がりはじめた。普段は半年もつものが、当直のたびに切替弁を回しては、片方を開けて掃除する羽目になった。濾筒を抜くと、濾紙に黒く艶のある滓が、歯磨き粉ほどの厚みで付いている。指でこすると、細かい砂のようにざらついた。安い油は、こうして当直の手間で払わされる。あの航海の帳面だけ、フィルター掃除の回数を欄外に正の字で書いてある。

タンクの残量は、センサーの数字だけでは決めない。検尺という手仕事がある。タンクの上の口から、目盛りを刻んだ鋼のテープを、錘ごと垂らす。油面に錘が触れた手応えで止め、引き上げて、テープの濡れた境目を読む。油でにじむから、境目はすぐ読まないと曖昧になる。センサーが「残り三十二」と出ていても、テープが三十と読めば、私は三十で帳面に書く。電気の目より、油で濡れたテープのほうを採る。それが当直の習いだ。

燃料は重い。満載で積めば、何百トンにもなる。タンクに百トン余分に残っていれば、船はその重さで数センチ深く沈む。入港前、私は残量から喫水を出して、ブリッジに渡す。うちの航路には、低潮位のとき船底と海底のあいだが一メートルを切る浅瀬がある。そこを何時に通るか、潮位はいくつか、燃料はあと何トン積んでいるか。三つを並べて、通れるか待つかを決める。客が眠っている足の下の、その下の隙間の数字を、私が握っている。

入港して、当直が明ける。私はその航海の帳面を閉じる。向かい風で食った分、フィルターを切り替えた回数、減速で浮いた二割、検尺で採った三十という数字。客は誰も読まない帳面だ。次の出港までに、私はまたバージのホースの根元に立って、流量計の数字が回りきるのを見ている。そこから、次の一航海の計算がまた始まる。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。