忘れ物では、ない物
ゴミ箱の中か、テーブルの上か

マキノトモエ(49歳・ホテル客室清掃員22年)

チェックアウトの済んだ部屋に入ると、必ず何かが残っている。窓の外には朝の柔らかな光が差し込んでいて、部屋にはまだ前の客の気配が静かに漂っていた。私はカートを止め、ドアノブに「清掃中」の札をかけて、その何かを見にいく。

残されている物には、二種類ある。忘れ物と、置いていかれた物だ。充電器、ネクタイ、ベッドサイドの眼鏡。これは忘れ物だ。客はきっと、出張先か家に着いてから気づいて、困っているにちがいない。私はフロントに内線を入れる。「七階、忘れ物です」。忘れ物タグの記入欄に、部屋番号と、品名と、拾った時刻を書く。それで私の手を離れる。

けれど、もう一種類のほうは、そう簡単にはいかない。読み終えた文庫本。半分残した土産の箱。テーブルに揃えて立てかけられた、使いかけのビニール傘。これらは、忘れたのではない。置いていかれたのだ。客は、それを持って帰らないと決めて、ここに残した。忘れ物と、置いていかれた物。その境目は、マニュアルのちょうど線の上にある。

私たちには判定の基準がある。ゴミ箱の中にある物は、ゴミ。ゴミ箱の外にある物は、忘れ物。たったそれだけのことだ。客室備品リストと照らし合わせて、ホテルの物でないと分かれば、あとは置かれた場所が決める。中か、外か。線は、ゴミ箱の縁の高さにある。

その朝、テーブルの上に文庫本が一冊あった。表紙を上にして、きちんと置かれていた。カバーには、何度も開いた折り目がついていた。栞は挟まっていない。読み終えたのだ。ゴミ箱は空だった。客は、この本をゴミ箱に入れなかった。入れずに、テーブルの真ん中に、表紙を上にして置いた。私はそれを、しばらく見ていた。

規則では、これは廃棄になる。ゴミ箱の外にあっても、客の私物で、ホテルの備品でなく、明らかに価値のない物——読み終えた文庫本は、忘れ物としてフロントに上げる類いの物ではない。廃棄記録に一行書いて、ゴミ袋に落とす。それが決まりだ。手は、決まりの通りに動けばいい。動かせばいいのだ。

でも私は、その本を手に取って、めくってしまった。日に焼けたページから、知らない人の指の温度が消えていくみたいだった。表紙を上にして置くというのは、ただ忘れただけの置き方ではない。次にこの部屋に入る誰かへの、置き手紙のようなものではないか。読み終えたから、あなたにあげます、と。客は顔も知らない次の客に、本を一冊、手渡していこうとしたのではないか。

私はゴミ袋を持つ手と、本を持つ手のあいだで、少し迷った。けれど、決まりは決まりだ。私はその本を、廃棄記録に「文庫本一冊」と書いて、ゴミ袋に落とした。落としてしまえば、もう、表紙が上だったか下だったかも、誰にも分からなくなる。部屋は、何も置かれていなかった部屋に戻っていく。三時になれば、次の客がドアを開ける。

二十二年、私は数えきれない部屋を「なかったこと」にしてきた。忘れ物は届け、ゴミは捨てる。けれど、テーブルの上に表紙を上にして置かれた物だけは、いつまでも私の中に残っている。きっと、置いていかれた物こそが、客が部屋に残していった、いちばん長い手紙なのだ。私は今日も、その手紙を、決まりの通りに捨てている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。