マキノトモエ(49歳・ホテル客室清掃員22年)
客室の清掃を二十二年続けている。一部屋に与えられた時間は、三十分。ベッドを直し、ユニットバスを磨き、アメニティを補充し、掃除機をかけて、ゴミを出す。チェックアウトが十一時、次のチェックインが三時。その四時間のあいだに、私たちは廊下の端から端まで、ゆうべを消していく。
客室清掃の仕事を、人は「掃除」だと思っている。半分は当たっている。けれど本当のところ、私たちがしているのは、一人の人間が一晩いた痕跡を「なかったこと」にする仕事だ。次に入る客は、誰も泊まらなかった部屋に入ったと信じられなくてはならない。前の客の気配が一つでも残っていたら、それは失敗なのだ。
初めて一人で一部屋を任されたのは、2004年の春だった。窓際にはカーテン越しの朝の光が静かに差し込んでいて、廊下にはまだ誰もいなかったと思う。先輩が「ここ、お願い」と言ってカートを押してきて、私はリネンとアメニティの積まれたそのカートの前で、一年分の手順を頭の中で並べ直した。ドアノブに「清掃中」の札をかける。それが、一人で部屋に入る合図だった。
ドアを開けて、私はすぐに気づいた。十一時の部屋は、ゆうべの形をしている。枕が二つ、頭の側に並べて寄せてあった。シングルで取った部屋なのに、二つ。テレビは消し忘れて、音のない映像が動いていた。窓際の椅子が、ベッドのほうではなく、窓のほうを向いて置かれていた。誰かがそこに座って、外を見ていたのだ。
私はしばらく、その部屋を見ていた。一泊の形がそのまま残っているというのは、こういうことなのだと思った。枕の寄せ方、椅子の角度、テレビのチャンネル。誰がどう過ごしたのか、想像しようと思えばいくらでもできた。けれど私の仕事は、その形を消すことだった。
掃除を始めようとしたとき、後ろから先輩の声がした。いつのまにか入口に立って、私の手元を見ていた。「見るのはいい」と先輩は言った。「覚えるな」。それだけ言って、先輩は次の部屋へ行ってしまった。私はその言葉を、しばらく考えていた。見てもいい。でも覚えるな。客の一泊は見える。けれど、客の顔は見てはいけない。見るのは部屋であって、人ではない。そういうことなのだと、私は受け取った。
枕を一つ、もとの位置に戻した。シーツを剥がし、新しいものを敷いて、四隅を三角に折り込んだ。ベッドメイクの三角折りは、入社して最初に叩き込まれる技術で、これができないと一人前とは呼ばれない。椅子を窓から離し、テレビを消した。ユニットバスの排水口に、髪の毛が一本だけ残っていた。それも拾った。三十分後、部屋はゆうべの形を失って、誰も泊まらなかった部屋に戻った。
仕上げに、先輩がインスペクションに来た。点検である。先輩は枕の角と、鏡の水滴と、ベッドの下を覗いて、「いい」と言った。そのとき私は、枕元に小銭が置いてあったことを思い出した。チップの文化のない国だから、あれは客が置き忘れた小銭で、チップではなかったのだろう。私はそれを拾って、フロントの忘れ物に回した。覚えるな、という言葉が、もう一度よみがえった。
あれから二十二年。何万部屋のゆうべを消してきたか、もう数えていない。客室清掃とは部屋をきれいにする仕事だと思われがちだが、本当は、誰かの一泊を見て、それを覚えずに消す仕事なのだと、いまでは思う。私は客の顔を知らない。知っているのは、部屋の形だけだ。あの春の朝に教わった「見て覚えるな」が、私をいまの私にしてくれた。カートのリネンは、今日も白く積まれている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。