マナベシオン(23歳・町工場のバリ取り工5年)
新しい部品の図面が来ると、バリ取りの段取りも新しくなる。バリというのは、機械で削った金属の角に残る返りのことだ。同じ部品をずっとやっているうちは、指が場所を覚えている。でも図面が変わると、指の記憶はいったん白紙に戻る。どの角に、どんな返りが、いつ出るのか。それを一から組み直さなければならない。新しい図面は、私にとっては新しい地図のようなものだ。
バリ取りに図面はいらない、と長いあいだ言われてきた。落とすべきは角で、角は手に取れば分かる。紙を見る必要などない、と。だから一年目の私は、図面の置いてある棚を素通りしていた。あの棚は、機械を回す人たちのものだった。
でも五年目になって、少しずつ図面が読めるようになってきた。読めるようになると、バリの出る場所が、部品を手に取る前に分かる。図面の角に「C0.5」と書いてあれば、そこは面取りの指示で、〇・五ミリ斜めに落とせという意味だ。「R0.3」とあれば、丸くせよということ。指示のある角と、ない角。バリは、たいてい指示のない角の、しかも加工がいちばん最後に通った側に出る。紙の上の数字と記号が、指の段取りに翻訳されていく。この翻訳ができるようになったとき、なんだか世界が広がった気がした。
ドリルの抜け際には、癖がある。穴をあけるとき、ドリルが材料を貫通する瞬間、出口側の縁をめくり上げる。だから図面に穴の指示があれば、その裏側に返りが立つと、もう分かる。フライスが平面を削った端、タップがねじを切った入口。加工の順番を図面から逆算すると、最後に刃物が抜けた場所が見えてくる。そこにバリが出る。私は図面を見て、刃物が通った順番を頭のなかでなぞるようになった。
試作品の一個目を渡されるときが、いちばん緊張する。試作の一個目は、量産の基準になるからだ。私がここをこう落とした、という手の動きが、そのまま後の何百個の基準書になる。検査の人が、私の仕上げた一個目を見て、合格の判を押す。その判が、図面の余白に「この角はここまで」と書き足されていく。一個目の私の指は、そういう意味で、紙に残る。
この前、加工担当に言えた日があった。あるアルミ部品の、四角い窓のような穴の四隅。ここはどうしても返りが立ちやすくて、私の手間が毎回かかっていた。私は思いきって言った。「ここのバリ、機械側で減らせませんか」。加工担当はしばらく図面を見て、刃物の送りを少し落としてみる、と言った。次のロットでは、四隅の返りが、目に見えて小さくなっていた。工程の上流に、私の声が届いた最初の日だった。あのときの胸の高鳴りを、私はきっと忘れないと思う。
図面の読み方は、誰かに教わったというより、ノートに書きためた。新しい記号が出てくるたびに、これは何だと加工担当に訊いて、小さなノートに写した。幾何公差の四角い枠、表面粗さの根号のような記号、断面を示す矢印。意味の分からなかった線が、一つずつ意味を持っていく。ノートのページが増えるごとに、私の指は、紙のほうへ近づいていった。
社長に、入ったころに言われた言葉がある。「バリ取りが図面を読むようになったら一人前だ」。あのときは意味が分からなかった。バリ取りに図面はいらないと、ほかの人は言うのに。でも最近、やっと分かってきた。図面が読めるようになると、私は、機械が金属に何をしようとしているのかを、加工の前に知ることができる。返りが出る前に、出る場所が分かる。つまり、図面が読めることが一人前の証なのだ。私は五年かけて、ようやくその入口に立ったのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。