足場の、上
本堂の屋根を下ろした、限られた晴れ間のこと

マシバケンゴ(58歳・宮大工36年)

本堂の屋根の修理にかかっている。瓦を剥ぎ、その下の野地板まで開けて、傷んだところを見ていく仕事だ。足場を組んで屋根の高さまで上がると、そこは天に近い、別の仕事場になる。下から手を合わせる参拝者には決して見えない角度から、伽藍の全体と、その向こうの町が見渡せる。高い場所の仕事には、地上とは違う種類の集中が要るのだと思う。

足場の上に立つと、まず目に入るのは隣の堂の屋根の反りだ。下から見上げると軒先しか見えないが、ここからは大棟から軒までの曲線がひと続きに見える。先人が、雨を遠くへ飛ばすために付けた反りだ。地上では分からない。屋根は、屋根の高さに上がらないと読めない。参拝者の見ている伽藍と、私がいま見ている伽藍は、同じ建物なのに別のものだった。

瓦を剥いだ野地板に、雨染みが広がっていた。黒く変色した板を指でなぞると、湿りが残っている。雨漏りというのは厄介で、染みのある場所の真上から漏っているとは限らない。水は野地板の裏を伝い、垂木を伝い、思わぬ道を通って、ずっと離れた場所に染みを作る。私は染みの縁から逆にたどっていく。どこから入った水が、どこを通って、ここに溜まったのか。水の通った道を、染みのほうから読み返していく作業だ。

たどっていくと、谷になった部分の板金の継ぎ目に行き着いた。そこから入った水が、勾配なりに流れて、棟寄りの一枚を腐らせていた。入口と出口が、屋根半分ぶんも離れている。下にいる施主には、まさかそんなに離れた場所が原因だとは見えないだろう。漏る場所と、悪い場所は、違う。これも屋根に上がらないと分からないことだった。

垂木が一本、染みのところで黒ずんで痩せていた。換えるか、生かすか。換えれば早いが、この垂木は建立当時のもので、墨が残っている。芯まで腐っていれば迷わず換える。だが叩いてみると、痩せているのは表面だけで、芯はまだ鳴った。私は添え木を抱かせることにした。傷んだ面を残したまま、健全な新材を横に添わせて、荷を二本で受けさせる。古材をどこまで残せるかは、上で叩いて、決める。墨の残る材は、一本でも多く残したい。

足場の上には、道具の決まりがある。腰袋の中身は、上で落とさないように決めた順で差す。鑿も、墨さしも、ここから落とせば下に人がいる。だから上で使う道具は、紐で腰に結ぶか、置く場所を決めて、決して縁に置かない。地上なら拾えばいい物が、ここでは拾えない。落とせない、という一点だけで、段取りが地上とまるで変わる。高い場所の仕事は、道具の置き方からして違うのかもしれない。

瓦職人とは、晴れ間を分け合う。屋根を開けている間は、雨が一番こわい。野地板を直し終えたら、その日のうちに葺き直してもらわないと、夜の雨で全部が台無しになる。剥いだ瓦は足場の段に山と積んである。空を見て、午後から崩れそうな日は、私の調査を早く切り上げて、瓦の手に渡す。限られた晴れ間を、二つの仕事で奪い合うのではなく、受け渡していく。天気の下では、職人は一つのからだのように動く。

足場の上は別の世界だが、音だけは下から届く。本堂の中の読経。だれかが鳴らした鈴の余韻。境内を駆ける子どもの声と、それを呼ぶ親の声。手を合わせる人たちは、屋根の上で板の染みを読んでいる男のことなど知らない。私も、その人たちの祈りの中身は知らない。届くのは音だけで、距離は縮まらない。それでも、その音の下に居場所を作るために、私はここで板をたどっている。

夕方、晴れ間の終わりに足場を解く。組むときと逆の順で、上から外していく。地面に降りると、屋根の上で固まっていた首と腰が、一度に凝りを訴える。見上げると、葺き直された瓦が夕日を返している。参拝者には見えない場所の、見えない仕事が、この建物を次の百年まで守るのだ。人の目に触れない仕事こそが、いちばん建物を支えているのだと、いまでは思う。首をさすりながら、明日も晴れるといい、とだけ思った。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。