マシバケンゴ(58歳・宮大工36年)
道具箱に墨壺と墨さしが入っている。墨壺で長い直線を打ち、墨さしの先で細かな線を引く。木材のどこを切り、どこに継手や仕口の刻みを入れるか。その線を引くのが墨付けで、ここで刻む位置が一寸狂えば、材は使えなくなる。図面は紙の上の理屈だが、墨は木の上で取り返しがつかない。大工の仕事は、鑿を入れる前にもう半分終わっている。
弟子入りしたのは一九九〇年、二十二歳だった。最初の一年は研ぎだけだった。朝、薄暗い研ぎ場で砥石を水で濡らす。手がかじかむほど冷たい。刃の裏が鏡になって自分の顔が映るまで研げと言われ、半年たってやっとそれが見えた。棟梁は、研ぎが仕事の半分だと言った。
その年の現場は、古いお堂の修理だった。屋根を下ろし、組物を外し、柱を一本ずつ解いていく。私は墨さしを握らせてもらえず、外した材に番付の札を付けて回っていた。解体した古材の調査は、組み直すために、もとがどう組まれていたかを読む作業だ。
一本の梁の、仕口で隠れて外から見えない面に、墨が残っていた。番付だった。「いろは」のいの、二番目を表す古い符丁が、墨壺の線と、墨さしの角ばった文字で書いてあった。私の指でなぞると、墨は木地に食い込んで、まわりの木より一段沈んでいた。新しい墨はこうは沈まない。前回の修理が記された棟札は明治のもので、この墨はそれより前だった。
見とれていると、棟梁が横に来た。「刻む前に、百年前の墨を読め。先人の墨が残っている材は、先人の考えが残っている材だ」。この梁を組んだ大工は、なぜこの材をこの向きで使ったのか。墨を読めば、その判断が分かる。新しく入れる材との取り合いは、それを読んでから決めろ、と言われた。
梁には反りがあった。先人は、その反りが下から突き上げる側に梁を据えていた。荷を受ければ反りは伸びる方向に働く。クセを殺さず、クセに働かせていた。私は自分の墨さしを取り、百年前の墨のすぐ横に、組み直しの線を引いた。先人の線と、私の線が、同じ材の上に並んだ。墨の沈み方が、二本でまるで違った。
角の取り合いで、新材を斜めに落とす角度が出せず、私は古材の墨を見直した。先人はさしがねの裏目で対角を取っていた。同じやり方でさしがねを当てると、角度は一度で出た。百年前の大工は、私が詰まる場所を、先に通っていた。
三十六年、私はずいぶんな数の墨を引いてきた。自分の引いた線は、ほとんど覚えていない。覚えているのは、読んだ墨のほうだ。あの梁の、いの二番。沈んだ墨。反りを下に据えた、会ったこともない大工の判断。