マシコテツジ(66歳・公衆電話の保守員38年)
鞄の重さで、その日の仕事がわかる。集金袋と、ガラス拭きの布と、照明の球と工具。入った頃は、これで全部だった。いまは同じ鞄の半分を、外すための道具が占めている。バールと、配線の端子を抜く工具と、跡地に流すモルタルの袋。
入ったのは一九八八年、電電公社が民営化した直後だ。緑の電話が駅前に並んでいた。色は塗料の指定があって、剥げたら同じ番号の缶を持っていって塗り直す。私の仕事は、硬貨の詰まりを直し、ガラスを拭き、年に一度、電話帳を新しい一冊に替えることだった。重い古い帳面を抜いて、まだ印刷の匂いのする一冊を差す。人が使う前提の手だった。
引き際は、急にではなく順番に来た。テレホンカードの自販機が先に消えた。駅前に二列あったボックスが一列になった。ある朝、回ってきた一台に「使用中止」の紙が貼ってあって、それを貼ったのが自分でないことに、少しほっとした。次の月から、貼るのは私の仕事になった。
外す日の手順は決まっている。前の晩までに局が回線を止める。生きた線を切る保守員はいない。翌朝、止まったのを確認してから端子を抜き、ボックスをコンクリートの土台から起こし、トラックに積む。土台の穴にモルタルを流して均す。三十八年前に同じ手で塗り直した緑を、いまは同じ手で運び出している。鞄のどちら側に手が伸びるかで、その日が決まる。
外さずに残す電話もある。災害時に優先される回線、携帯の圏外になる集落、学校の前。残すと決まった一台に、初めて点検に回った日のことを覚えている。誰も来ない道で、受話器を上げた。ツー、と発信音が鳴った。誰もかけないのに、線はつながっていた。あの音を確かめて回るのが、それから私の仕事になった。
残った電話の点検は、使われる電話と同じだ。読み取り部の磁気のところを拭き、二十ワットの球を替える――点くまで一拍おいて、ジジ、と点く。ガラスを拭く。集金袋は空のまま戻る。かつてこの袋は、十円玉で底が抜けそうなほど重かった。同じ袋が、いまは紙きれより軽い。
地震のあった年、止めていなかった山あいの一台に、人が並んだと聞いた。災害時、これらの電話は無料になる。硬貨もカードもいらず、線がつながる限り誰でもかけられる。普段は誰も触らない受話器に、その日だけ手が伸びる。私はその朝の球を、何もない三百六十四日のあいだ替えている。
三十八年で外した電話は数え切れない。一台も覚えていない。覚えているのは、残した電話のほうだ。学校の前の一台。山あいの一台。受話器を上げると、いまも鳴る。ツー。