マシコテツジ(66歳・公衆電話の保守員38年)
外す道具が鞄の半分を占めるようになっても、なくならない仕事がある。硬貨の回収だ。一台でも生きている限り、誰かがその硬貨を抜きに行く。三十八年、私がその誰かだった。
金庫部の鍵は、ほかの鍵とは別に持つ。出るとき台帳に受領印を押し、戻ったら返す。扉を開け、硬貨の溜まった受け箱を引き、空の箱と入れ替える。抜いた硬貨は、その場では数えない。現場で数える人と、抜く人を分ける。抜いた者が数えなければ、途中で減りようがない。情で守るのではなく、手順で守れないようにしてある。
抜いた硬貨は袋に入れ、口に番号入りの封印を通す。一度締めたら、切らなければ開かない。局でその番号を照合する。封印が証明するのは、私の誠実さではない。ただ「開いていない」という一事だけだ。数えるのは局の係で、私ではない。私の手は、最後まで枚数を知らずに帰る。
回収量は、一台に一行、記録簿に書く。何月いくら。駅前の角の一台は、二〇一〇年の春までは月に四千円前後あった。携帯が皆の手に渡った次の年、同じ機械が月に六百円になった。その次の年は二百円。私は坂を見たのではない。台帳の一行下に、桁が一つ減って書かれているのを見ただけだ。
落ちない機械もあった。総合病院の前の一台は、ほかが軒並み桁を落とした年も、月に三千円を割らなかった。院内で携帯を切らせていた頃だ。誰が入れたのかは知らない。ただ、その機械から抜く硬貨には、いつも百円玉に混じって、磁気の擦り切れた古いテレホンカードが一枚、受け箱の底に落ちていた。カードはもう使えない。それでも誰かが、毎月のように差し込もうとして、戻していった。
いまでも十円玉が出る機械は、市内に三台しか残っていない。共通点を理屈で言うのはやめておく。覚えているのは一台だ。古い団地の集会所の前。そこの受け箱だけ、十円玉に混じって、いつも同じ五円玉が二枚出る。誰かが、十円玉が足りない日に五円を二枚積んで、三分だけ話して帰る。顔は知らない。二枚の五円玉だけを、私は十年ぶん抜き続けている。
テレホンカード式の機械の読み取り部には、埃が積もる。蓋を開けると、灰色の埃の下から、もとの薄緑のプラスチックが出てくる。カードを通す人はもう来ない。抜くものもない。それでも私は埃を払う。応えるとか応えないとかではなく、開けたら埃があり、払えば消える。手はそれだけのことをして、蓋を閉める。
回収袋を持ち上げると、抜く前に中身がだいたい分かる。十円玉ばかりの袋は、同じ重さでもずしりと角が立つ。百円玉が混じると、軽いのに手の中で滑る。今日の集会所の袋は、五円玉二枚のぶんだけ、いつもより軽い。数えるのは局の係だ。私の手は、枚数を知らないまま、その重さだけを三十八年覚えている。空の受け箱を差し、鍵束を返して帰る。