硬貨の、回収
いまも続く、公衆電話の集金という仕事

マシコテツジ(66歳・公衆電話の保守員38年)

外すための道具が鞄の半分を占めるようになっても、なくならなかった仕事がある。硬貨の回収だ。電話が一台でも生きている限り、誰かがその硬貨を集めに行かなければならない。三十八年、私はその誰かをやってきた。静かな仕事だと思う。

金庫部の鍵は、ほかの鍵と一緒には持たない。回収専用の鍵束があって、出るときに台帳に受領印を押し、戻ったらまた返す。一台ぶんの硬貨を抜くには、金庫部の扉を開け、中の受け箱を引き、空の箱と入れ替える。抜いた硬貨はその場では数えない。現場では数えない決まりなのだ。袋に入れ、口を封緘し、局に戻ってから数える。

封緘は、ただ縛るのとは違う。番号入りの封印を通し、一度締めたら切らないと開かない仕組みになっている。誰の手も触れていないことを、その小さな金物が証明する。私の仕事は、硬貨を一枚も数えないことで、かえって硬貨を守ることなのだと思う。数えるのは、私ではない人の役目だ。

回収量は、機械ごとに記録される。一台に一行、何月いくら、と記録簿に書いていく。何年分も並べると、それは一台の電話の使われ方の歴史になる。駅前の機械の回収量が、携帯が普及したあの年からどう落ちていったか。数字の列が、坂を下るように下がっていく。グラフにすれば、誰でも分かる傾きだろう。

面白いのは、落ちない機械があることだ。病院の前の一台は、ほかが軒並み落ちていく年も、回収量があまり減らなかった。院内では携帯を切る決まりだった頃の話だ。検査の合間に、家族へかける人がいた。手術の終わりを待つ人がいた。切れない場所には、切れない電話があった。記録簿の数字の列だけが、そのことを覚えている。

いまでも十円玉がそれなりに入っている機械が、わずかにある。場所には共通点がある。携帯を持たない人が通る道だ。役所の隅、夜間病院の入口、それから古い団地の集会所の前。回収袋を持ち上げた瞬間に、ああ今日はこの機械は入っているな、と手の側で分かる。三十八年やっていると、袋の重さで中身がだいたい読める。十円玉ばかりの重さと、百円玉が混じった重さは、持った手の感じが違う。

テレホンカード式の機械は、いまはもう、読み取り部に埃がたまる。回収といっても抜くものがない。それでも蓋を開け、磁気のところを拭く。カードを通す人はもういないのに、私は埃を払い続けている。無駄じゃないか、とまた言われそうだが、手入れをすれば機械は応える。それで十分なのかもしれない。

回収袋の重さは、年々軽くなった。かつて十円玉で底が抜けそうだった袋が、いまは紙きれより軽い日もある。その重さの変化を、私はこの手で三十八年ぶん測ってきた。硬貨の重さは、つまるところ、人がその電話を使った時間の重さなのだ。軽くなった袋は、人がそこを通らなくなった年月そのものなのだと思う。

たまたま選んだこの仕事が、私を、硬貨の重さを量る人間にしてくれた。数えるのは局に戻ってからで、現場の私はただ重さを感じるだけだ。けれどその重さの記憶こそが、機械の歴史なのだと、いまでは思う。今日も鍵束を返し、空の受け箱を差して帰る。袋は軽い。それでいいのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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