ボックスの、忘れ物
電話ボックスに残されていくもの

マシコテツジ(66歳・公衆電話の保守員38年)

点検に回ると、ボックスには毎度なにかが残っている。棚の上の手帳。隅に立てかけた傘。投入口に挟まったままのテレホンカード。誰も見ていない箱の中に、人の通った跡だけが置き忘れられている。静かな箱の中で、それらは持ち主を待っているようだった。

昔の忘れ物は、その人がわかるものだった。手帳には予定が書いてあり、名刺入れには名刺が入っていた。落とし主に届けると、たいてい間違いなく本人で、ああこれです、と言って受け取った。手帳をめくれば、その人の一週間がそこにあった。忘れ物にも、まだ顔があった気がする。

携帯の時代になってから、忘れ物が変わった。手帳も名刺入れも、もう落ちていない。代わりに増えたのは、走り書きのメモだ。充電の切れた携帯を握って駆け込んだ人が、思い出せる番号だけを棚の隅に書きつけて、そのまま行ってしまう。数字の列と、たまに「19時 北口」とだけ。書いた人はもう、自分の電話に充電してそれを忘れる。

ボックスの中には、貼り紙と落書きも溜まる。私はそれを剥がして回る。占いのシール、英会話の小さな広告、マジックの落書き。爪を立て、湿らせた布で端から起こして、台紙ごと持っていく。ガラスはもとの透明に戻る。剥がすのも保守のうちだと、誰かに教わったわけではないが、そう思ってやっている。

ただ一つだけ、剥がさずに残すものがある。探し猫の貼り紙だ。手書きの似顔絵と、特徴と、電話番号。あれだけは、貼ってから一週間はそのままにする。これは自分で決めた規則で、局の手順書には載っていない。一週間経って、まだ猫が見つかっていないだろう頃に、ようやく剥がす。剥がすときは、いつも少しためらう。

ガラスの内側は、季節によって曇る。冬の朝は結露で真っ白になる。スクイージーを上から下へ、一定の角度で引くと、水が一筋に集まって落ちる。外側の雨と、内側の人の息と。同じガラスでも、拭く手応えが違う。床を箒で掃けば、レシートと、吸い殻と、小銭が出てくる。十円玉や五円玉が、隅から転がり出てくる。

忘れ物は警察に届ける。届けの書式があって、品名と、拾得の日時と、場所を書く。傘も手帳も、それで手を離れる。けれど迷うものがある。残度数だけのテレホンカードだ。落とし主のわからない、あと数度数のカード。これは落とし物なのか、捨てられたものなのか。書式のどの欄にも、それを書く場所がない。私はいつも、しばらく手の中でそれを持て余す。

電話帳の消えた棚は、いまは何も差さっていない。差すべき一冊がなくなって、棚だけが残った。すると人は、そこに物を置く。飲みかけの缶コーヒーが、棚の上にぽつんと置かれていることがある。誰かが受話器を持つあいだ、そこに置いて、そのまま忘れていったのだろう。棚は、もう電話帳のためのものではなくなっていた。

忘れ物を拾い、貼り紙を剥がし、ガラスを拭いて、缶を片づける。空っぽになったボックスを出るとき、私はいつも思う。忘れ物が残るのは、そこに人がいた証なのだ。誰も使わない箱なら、何も残らない。忘れ物はきっと、ボックスがまだ生きていることの、いちばん確かなしるしなのだろう。今日もまた、誰かの忘れた数字が、棚の隅で待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。