魯肉飯を作りたいのに
——台湾料理日記 #1

リンメイファ

日曜日の午後。窓の外は曇りで、風がすこし冷たい。

急に、滷肉飯(ルーローハン)が食べたくなった。

母の作る魯肉飯。脂がとろとろに煮崩れた豚バラ。醤油と砂糖と八角の甘い湯気。白いごはんにかけると、茶色い汁がじわっと染みていく。あの匂い。あの湿った空気。あの台所。

10年も日本に住んでいると、ふいに来る。波のように。理由はない。天気かもしれない。季節の変わり目かもしれない。ただ、体が覚えている味を、体が求める。

スーパーで揃うもの、揃わないもの

豚バラ肉。これはスーパーで買える。薄切りではなく、ブロックが必要だ。日本のスーパーは薄切りが主流で、ブロックは少し探さないといけないけれど、ある。

醤油。ある。砂糖。ある。にんにく。ある。生姜。ある。

ここまでは順調だ。

でも——

八角がない。

八角。八角。星の形をしたスパイス。台湾の煮込み料理には必ず入る。あの甘くて重い香りがなければ、魯肉飯は魯肉飯にならない。日本のスーパーのスパイスコーナーを見る。こしょう、七味、カレー粉、ガーリックパウダー。八角はない。

五香粉もない。

五香粉。五香粉。八角、花椒、シナモン、クローブ、フェンネルを混ぜたスパイス。台湾の台所には必ずある。日本の台所にはない。存在しないものは、棚にも並ばない。

紅蔥酥がない。

紅蔥酥。揚げネギ。赤い小さな玉ねぎを薄く切って、油でかりかりに揚げたもの。台湾の煮込み料理の「底味」を作る。これがないと、味に奥行きが出ない。日本にはフライドオニオンがあるけれど、あれは西洋の玉ねぎだ。紅蔥頭(赤い小玉ねぎ)の、あの独特の甘い香ばしさとは別物。

カルディという名の、遠い港

カルディに行った。輸入食材の店。ここなら、と思った。

あった。八角。小さなガラス瓶に5個入って、398円。

398円。

台湾なら、市場で一袋30元(150円くらい)で山ほど買える。ビニール袋いっぱいの八角が150円。それが日本では、おしゃれな瓶に入って、5個で398円。1個80円。スパイスが宝石みたいに扱われている。

五香粉もあった。小瓶で450円。台湾なら全聯(スーパー)で35元(175円)。2.5倍。

紅蔥酥はなかった。フライドオニオンはあったけれど、違う。仕方がない。普通の玉ねぎをみじん切りにして、自分で揚げることにする。紅蔥頭ではないけれど、ないよりいい。

レジで会計しながら考えた。台湾では当たり前にある調味料が、日本では「エスニック食材」になる。棚の場所が変わるだけで、日常が異国になる。

台所に立つ

豚バラブロックを1.5センチ角に切る。母は2センチだった。でも私は少し小さめが好きだ。10年前に実家を出てから、少しずつ母のレシピが私のレシピに変わっていく。

フライパンに油をひかずに豚バラを入れる。中火。脂が出てくる。じゅう、と音がする。この音。この匂い。豚バラの脂が溶けて透明になっていく。表面がきつね色になるまで、じっくり。

玉ねぎのみじん切りを加える。本当は紅蔥酥を入れるタイミングだ。でもない。代わりに、玉ねぎが飴色になるまで炒める。甘い匂いが立ちのぼる。似ているけれど、違う。似ているから、なおさら違いがわかる。

にんにく。生姜。醤油。砂糖。米酒の代わりに日本酒。五香粉を少し。八角を2個、星の形のまま、鍋に落とす。

ぽちゃん。

八角が煮汁に沈んでいく。あの匂いが立った。甘くて、重くて、どこか薬草のような香り。一瞬だけ、台湾の台所にいる気がした。

水を加えて、蓋をして、弱火。1時間。

待つ。

1時間は長い。日本のキッチンは狭い。換気扇を回しても、八角の匂いが部屋中に広がる。隣の部屋にも届いているかもしれない。日本のマンション(6畳1Kの、mansionではないほうの)は壁が薄い。八角の匂いはたぶん、隣人の知らない匂いだ。

80%の魯肉飯

できた。

白いごはんをよそう。魯肉飯の肉を、汁ごとかける。茶色い汁が白いごはんに染みていく。煮卵を半分に切って添える。黄身がとろり。

見た目は——かなり近い。母の魯肉飯に、かなり近い。

食べた。

……おいしい。おいしい、けれど。

80%くらい。

味は近い。醤油と砂糖と八角のバランスは悪くない。豚バラはとろとろに煮えている。煮卵にも味が染みている。80%は再現できている。

あと20%が足りない。

紅蔥酥がないせいかもしれない。あの揚げネギの底味が、全体を一段深くするのだ。日本酒と米酒の違いかもしれない。微妙にコクが違う。

でも——たぶん、調味料だけの問題ではない。

足りない20%は、空気だと思う。

台湾の、あのまとわりつくような湿度。母の台所の、換気扇が古くて油がこびりついた壁。テレビから流れる台湾語のニュース。母が「快來吃飯!」(ごはんよ!)と叫ぶ声。食卓に座っている父。弟がスマホを見ながら箸を動かしている。窓の外から聞こえるバイクのエンジン音。

調味料では再現できない20%。レシピに書けない20%。カルディには売っていない20%。

でも80%で、泣きそうになった。

80%でも、体が反応する。舌が覚えている。鼻が覚えている。胃が覚えている。この味を知っている、と体が言う。10年前の台所を、体が思い出す。

80%は「足りない」ではない。80%は「覚えている」だ。

写真を送る

スマホで写真を撮った。白いごはんの上に茶色い肉。煮卵。少し欠けた青い茶碗。

ソノダに送った。

我做了滷肉飯(魯肉飯作ったよ)」

ソノダからすぐに返信が来た。

「おいしそう! 今度食べさせて」

いつもの、ソノダの短いメッセージ。でもこの一行が嬉しかった。台湾の味を、日本の友人が「食べたい」と言ってくれる。母の味と、ソノダの「食べさせて」が、小さな6畳の部屋でつながった。

好啊,下次做給你吃(いいよ、今度作ってあげる)」

今度作るときは、もう少し工夫しよう。紅蔥酥は中華食材店に行けば手に入るかもしれない。大須にアジア食材の店があったはずだ。米酒も探してみよう。

90%にはなるかもしれない。

残りの10%は——ソノダが「おいしい」と言ってくれたら、埋まるかもしれない。台湾の食卓の記憶を、名古屋の食卓の記憶が上書きするのではなく、隣に並ぶ。母の「快來吃飯」の隣に、ソノダの「食べさせて」が並ぶ。

それでいい気がした。

調味料の地図

考えてみれば、台所の調味料棚は地図だ。

台湾にいた頃の棚。醤油膏(とろみのある醤油)、五香粉白胡椒粉米酒烏醋(黒酢)、沙茶醬(バーベキューソース的なもの)、豆瓣醬。それが私の食の地図だった。

日本に来て10年。棚が変わった。味噌が加わった。みりんが加わった。だしの素が加わった。ポン酢が加わった。めんつゆという万能調味料を覚えた。

今の私の棚には、両方がある。醬油膏の隣にみりんが立っている。五香粉の隣に七味唐辛子が並んでいる。台湾と日本が、調味料棚の上で共存している。

これが私の10年だ。味噌汁も作れるし、魯肉飯も作れる。どちらも80%かもしれない。味噌汁は日本人の友人に「おいしいけど、うちのとは違う」と言われるだろう。魯肉飯は母に「味道不太一樣耶(味がちょっと違うね)」と言われるだろう。

どちらも80%。どちらも本物ではない。でもどちらも私の味だ。

二つの国の80%を持っている。合計160%。どちらの100%にもなれないけれど、160%は160%だ。足し算を間違えているかもしれないけれど、間違えたまま、おいしい。

日曜日の終わり

洗い物をする。鍋にこびりついた醤油の焦げを、たわしでこする。八角の匂いがまだ手についている。明日、職場でこの手の匂いを嗅いだら、一瞬だけ今日の午後を思い出すだろう。

残りの魯肉飯をタッパーに入れた。明日の昼ごはん。電子レンジで温めると、八角の匂いがオフィスに広がるだろうか。同僚が「何の匂い?」と聞くかもしれない。

「台湾の、お母さんの味です」

——と言うだろう。日本語で。丁寧に。10年かけて身につけた着ぐるみを着て。

でも匂いには、着ぐるみがない。八角の匂いは、どこにいても八角の匂いだ。敬語で包めない。空気を読めない。ただ甘くて、重くて、台湾の台所に直結している。

言葉は変装できる。匂いは変装できない。

だから私は料理をするのかもしれない。言葉では80%しか伝えられない故郷を、匂いなら100%で呼び出せるから。

窓の外が暗くなった。日曜日が終わる。名古屋の日曜日が終わる。

来週も作ろうか。今度は滷味(台湾風煮込み)にしようか。擔仔麵(タンツーメン)もいい。材料が手に入るかどうかは、また別の冒険だ。

母にLINEを送った。

媽,你的滷肉飯怎麼那麼好吃?我怎麼做都差一點。

(ママ、あなたの魯肉飯はなんであんなにおいしいの? 私が作るとどうしても何か足りない。)

母の返信。

傻孩子,那是因為你不在家啊。回來吃就對了。

(ばかね、あなたが家にいないからよ。帰ってきて食べればいいの。)

足りない20%の正体を、母は一行で言い当てた。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。リンメイファは架空の人物であり、台湾の食文化についての記述は一般的な情報に基づいています。