リンメイファ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
台湾から日本に来て10年になる。日本語はもう夢の中でも使う。敬語も使える。ビジネスメールも書ける。年賀状も出す。
でも、ときどき立ち止まる。
なぜ日本人は、こんなに遠回しに言うのか。
ソノダに「台湾から日本のポエマイゼーションを見ると何が見える?」と聞かれた。10年分の「え、なんでそう言うの?」を、ここに書く。
来日して最初にコンビニに入った。おにぎりを買った。レジの店員さんが言った。
「お箸をおつけしますか?」
台湾なら「要筷子嗎?」——4文字。箸、いる? 以上。日本語は「お」をつけて、「おつけしますか」と敬語にして、10文字。2.5倍だ。
次の日、電車が遅れた。アナウンスが流れた。
「ご迷惑をおかけしております。ただいま、信号確認のため、運転を見合わせております。お急ぎのところ、大変申し訳ございません。」
台北のMRTなら「列車延誤,敬請見諒」——8文字。列車遅延、ご了承ください。終わり。日本語の車内アナウンスは40文字以上ある。しかも謝罪が2回入っている。「ご迷惑をおかけして」と「大変申し訳ございません」。
来日1週間で気づいた。日本語は同じ情報を3倍の文字数で伝える。その3倍の部分は、情報ではない。では何か。
ソノダが名前をつけてくれた。ポエマイゼーション。なるほど。あの3倍は、ポエムだったのか。
台湾にポエマイゼーションがないわけではない。ソノダのS1#3で分析されていた通り、台湾の不動産広告は「ポエム」の塊だ。
「立於國家歌劇院第一排的帝王位,富豪身份地位的象徵。」
(国家歌劇院の最前列の帝王の座に立つ。富豪の身分と地位の象徴。)
台湾の不動産ポエムは日本よりむしろ濃い。「帝王」「富豪」「皇家」——日本のコピーライターが絶対に使わない言葉が堂々と並ぶ。日本の「上質がそびえる」の3倍は直接的で、10倍は大げさだ。
しかし。
日常会話のポエム密度は、日本のほうが圧倒的に高い。
| 場面 | 台湾 | 日本 | 倍率 |
|---|---|---|---|
| すみません | 不好意思 | お忙しいところ恐れ入りますが | x3 |
| 箸いる? | 要筷子嗎? | お箸をおつけしますか? | x5 |
| 電車遅延 | 列車延誤,敬請見諒 | ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません | x5 |
| メール冒頭 | 你好 | 平素よりお世話になっております | x7 |
| お断り | 沒辦法 | 大変心苦しいのですが、ご期待に沿えず…… | x8 |
台湾のポエマイゼーションは特定の領域に集中する。不動産、結婚式、選挙——ハレの舞台でだけ言葉が膨張する。日本のポエマイゼーションは日常の隅々にまで浸透している。コンビニのレジから、電車のアナウンスから、ビジネスメールの1行目から。
台湾は「ここぞ」でポエムを使う。日本は「常に」ポエムの中にいる。
台湾に「空氣」(空気)という言葉はある。しかし「空氣を読む」という概念はない。
台湾は直接言う文化だ。嫌なら嫌と言う。「不要」(いらない)。「不行」(だめ)。「太貴了」(高すぎる)。直球、直球、直球。夜市で値切るとき、「お値段のほうが少々気になるのですが……」なんて言う台湾人はいない。「算便宜一點啦!」(もっと安くしてよ!)。以上。
日本は察する文化だ。相手の気持ちを推測して、傷つけないように言葉を選ぶ。選んで、選んで、選んだ結果——言葉が膨張する。「いらない」が言えないから「ちょっと今回はご縁がなかったということで……」になる。
ソノダのポエマイゼーション理論で整理すると:
台湾人が「不要」と言うとき、情報はそのまま伝わる。ポエマイゼーションは起きない。
日本人が「ちょっと難しいかもしれません」と言うとき、「No」という事実が変装している。さらに「ちょっと」で断定を蒸発させ、「かもしれません」で責任を消去している。1つの「No」に3つの操作が同時に動いている。
察する文化だから、直接言えない。直接言えないから、ポエムで包む。ポエマイゼーションは日本の「察する文化」の言語的実装だ——と、10年かけてわかった。
ポエマイゼーションの「違い」ばかり書いてきたが、同じ構造もある。
台湾の結婚式には「紅包」(ご祝儀)の文化がある。赤い封筒にお金を入れる。金額には厳密なルールがある。
日本の結婚式でも同じだ。ご祝儀に「4万円」は避ける。割り切れる偶数を避けて奇数にする(台湾と逆!)。結婚式招待状では忌み言葉——「切る」「別れる」「終わる」——を消去する。句読点すら消す。「。」は「終わり」を連想させるから。
台湾:「四」を消す → 死の連想を消去
日本:「。」を消す → 終わりの連想を消去
数字の消去、記号の消去。ソノダの言う「消去」の操作が、文化を超えて同じ構造で動いている。不吉なものを言葉から追放する。台湾も日本も、やっていることは同じ。ただ、何を不吉と感じるかが違うだけだ。
台湾は「4」が怖い。日本は「終わり」が怖い。どちらも、言葉の力を信じているから消す。言葉に力がないなら、消す必要もないのだから。
正直に言う。来日して最初の2年、日本語のポエマイゼーションが苦痛だった。
ビジネスメールの「平素よりお世話になっております」。何の情報もない。台湾なら「你好」で済む。なぜこんな無意味な文を毎回書かなきゃいけないのか。会議の「本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます」。あなたが呼んだんでしょう。なぜ来たことに感謝するのか。
3年目に少し変わった。
風邪をひいたとき、同僚が言った。
「お体にお気をつけてくださいね。」
情報量はゼロだ。「気をつけて」と言われて風邪が治るわけがない。台湾なら「多休息」(よく休んで)と言う。こっちのほうが実用的だ。休息という具体的なアクションがある。
でも。
「お体にお気をつけてくださいね」の「ね」に、なぜか泣きそうになった。情報量はゼロだが、愛情量は100%だった。この人は私を心配してくれている。その気持ちが、あの「お」と「ね」の中に詰まっていた。
あの瞬間、ポエマイゼーションを理解した。日本語のポエムは、情報を伝えるためにあるのではない。「あなたのことを思っています」という信号を送るためにある。「平素よりお世話になっております」は、「あなたとの関係を大切にしています」の信号だ。「お忙しい中ありがとうございます」は、「あなたの時間を尊重しています」の信号だ。
台湾の「你好」は効率的だ。でも「平素よりお世話になっております」は温かい。効率と温かさのトレードオフ。10年住んで、私は温かさのほうを選ぶようになった。
来日前、「マンション」という言葉を辞書で見たとき、「豪宅」(豪邸)を想像した。英語の"mansion"だから当然だ。来日して住んだのは、6畳1Kのワンルーム。これのどこがmansionなのか。
ソノダのDXポエム#5でマークが指摘していた「増幅」——カタカナに変換すると権威が増す現象——を読んだとき、腑に落ちた。"Apartment"を「アパート」と呼ぶと安く聞こえる。だから「マンション」にした。英語の意味は蒸発して、「なんか高級そう」だけが残った。台湾なら「公寓」(集合住宅)とそのまま呼ぶ。飾らない。
台湾にもカタカナの増幅はある——ただし、英語ではなく日本語からの借用だ。台湾の若者は「卡哇伊」(かわいい)と言う。日本語の「かわいい」が台湾で音訳されると、なぜか中国語の「可愛」よりおしゃれに聞こえる。増幅の方向が逆なのが面白い。日本は英語から借りて増幅する。台湾は日本語から借りて増幅する。
日本語: apartment → 「マンション」(英語から増幅)
台湾: 可愛 → 「卡哇伊」(日本語から増幅)
原理は同じ:外国語の音は、母語より格好よく聞こえる
「台湾は直球文化で素敵ですね」と言われることがある。ちょっと待ってほしい。直球にも弊害がある。
台湾に帰省するたびに、親戚のおばちゃんに言われる。
「怎麼還沒結婚?」
(なんでまだ結婚しないの?)
「胖了喔!」
(太ったね!)
直球すぎる。ポエマイゼーションが足りない。日本のおばちゃんなら——「最近お忙しそうね、ご自身のことは後回しになっちゃうわよね」くらいに包んでくれる。直接「太った」とは言わない。
10年間、日本のポエマイゼーションの中で暮らして、台湾に戻ると逆にショックを受けるようになった。直球が痛い。ポエムのクッションに慣れてしまった。
これは良いことなのか悪いことなのか、自分でもわからない。
台湾から見ると、日本のポエマイゼーションは過剰に見える。「お箸をおつけしますか?」は5倍の文字数だ。「平素よりお世話になっております」は情報量ゼロだ。「上質がそびえる」は何がそびえているのかわからない。
しかし10年住んで、その過剰さの意味がわかった。
日本語の3倍のポエムは、3倍の気遣いだ。「あなたを傷つけたくない」「あなたとの関係を壊したくない」「あなたに敬意を払いたい」——その思いが言葉を膨らませる。ポエマイゼーションは、思いやりの過剰実装なのだ。
台湾の「帝王の座」は笑える。日本の「上質がそびえる」も笑える。でもそう書こうとした人間の、相手に何かを伝えたいという気持ちは——たぶん台湾人も日本人も同じだ。
遠回しに言うのは、あなたを大切にしているから。
直接言うのも、あなたを大切にしているから。
道が違うだけで、行き先は同じだ。
ソノダに一つだけ伝えたい。10年間の日本語のポエムに包まれて育った台湾人として。
「謝謝你讓我看見這些。」
——これを見せてくれて、ありがとう。
……あ、日本語なら「ソノダさんのおかげで、大変勉強になりました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます」と言うべきかな。でもごめん、台湾人だから直球で言う。ありがとう。