ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)
リビングの低いテーブルに、高校の同窓会名簿を広げた。表紙は色褪せ、角は丸く擦り切れている。ページを捲ると、古い和紙のような匂いが微かに漂う。指先で辿るのは、ざらりとした紙面の名前の羅列だ。ひとり、またひとりと、心の中で読み上げていく。
「山田俊一」と口にすると、すぐに彼の顔が脳裏に浮かんだ。痩せた身体つき、口元を少し歪ませる笑い方。彼は毎年、裏に手書きでびっしりと近況を書いた年賀状をくれる。濃い藍色のインクで、丁寧に「大根が豊作でした」とか「孫が小学校に入学しました」と記されている。筆跡は少し丸みを帯びてきたが、毎年必ず届く。彼の年賀状からは、いつも変わらない朗らかな人柄が伝わってくる。あれは、まさしく彼の笑顔そのものだ。
「佐藤健」と続ける。頭の中は白紙だった。どんな顔だったか、声の調子は、背格好は。周囲の友人の顔は鮮明なのに、佐藤健という個は、なぜかそこにいない。卒業式以来、一度も会っていない。記憶の引き出しが、まるで最初から存在しないかのように空っぽなのだ。戸惑いが胸に広がる。
「鈴木和彦」。五秒、いや、十秒。目を閉じ、頭の中を探る。ぼんやりとだが、眼鏡をかけた男の輪郭が浮かび上がった。十年ほど前、一度だけ同窓会で会ったはずだ。たしか、隣の席でビールを飲んでいた。何を話したか、どんな顔つきだったか、一切思い出せない。再会の記憶さえもが、砂浜に書いた文字のようにすぐに消え去る。
名簿を捲る指が止まる。「田中」「林」「山本」。高校時代、同じ教室で過ごしたはずの彼らの顔は、もはやどんなに呼びかけても姿を現さない。声を出して名前を呼んでも、紙の上の文字はただ静かにそこにあるだけだ。そこにいるはずの人の記憶が、これほどまでに薄いことに、私はひどく面食らった。
ページを捲り続けるうち、私は確信した。この名簿は、過去の記録ではない。私自身の記憶の残酷な偏りを突きつける証拠品だと。指先は、ある名前の前でぴたりと止まった。次に進めない。