思い出せる名前と、思い出せない名前
高校の同窓会名簿を開いて

ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)

リビングの低いテーブルの上、分厚い高校の同窓会名簿を開いた。埃を被ったその冊子には、卒業から四十七年という時間の重みが染みついている。頁をめくるたび、紙の匂いが静かに立ち上る。指でなぞる先、名前の羅列が続く。ひとり、またひとりと、声に出して読み上げていく。

「山田俊一」と呟くと、すぐに彼の顔が浮かび上がった。細身で、少しばかり口元が歪む癖のある笑い方。彼は毎年、手書きの年賀状をくれる。家族の近況や、畑で採れた野菜の話。いつも変わらない筆跡で、変わらない笑顔でそこにいる。記憶は鮮明で、まるでつい先ほど会ったかのようだ。

「佐藤健」と続ける。しかし、どんな顔だったか、さっぱり思い出せない。声の調子も、背格好も、彼の周囲にいた友人たちの顔は浮かんでも、佐藤健という個人はまるで雲の中に隠れてしまったかのように不明瞭だ。卒業式以来、一度も会う機会がなかったはずだ。それは、もしかしたら、記憶の糸がどこかで途切れてしまった証拠かもしれない。

「鈴木和彦」。五秒ほど、いや、もっと長く目を閉じ、頭の中を探る。ぼんやりとだが、眼鏡をかけた男の輪郭が浮かび上がってきた。ああ、そうだ。あれは十年ほど前、一度だけ同窓会で会った。その時に少し話をしたはずだが、話した内容はおろか、その時の彼の様子も曖昧なままだ。再会しても、記憶の輪郭はすぐに消え入りそうになる。

よく会う人の顔や声は、名前を呼んだ瞬間にするりと現れる。しかし、長い間その姿を見ない人ほど、脳の奥底からその記憶を引っ張り出すのに手間がかかる。まるで重い引き出しの奥に仕舞い込んだ古い写真を、埃を払いながら一枚一枚探しているかのようだ。時には、その引き出しが固く閉ざされていて、なかなか開かないこともある。名前を辿る指先は、記憶の旅路を静かに進む。

名簿には、他にもたくさんの名前が並ぶ。「田中」「林」「山本」。高校時代、確かに同じ教室で、同じ時間を過ごしたはずの彼らの顔は、もはやどんなに呼びかけても姿を現さない。声を出して名前を読んでも、そこにあるのはただの文字の羅列でしかない。それは、もういくら探し回っても見つからない失くし物を見つけた時の、諦めに似た静かな気持ちだ。

ページを一枚、また一枚と捲っていく。どの名前も、確かにあの頃のワタナベが知っていたはずだ。しかし、いま目の前にあるのは、思い出せる名前と、もう二度と思い出せない名前の、はっきりとした境界線だった。名簿の厚みだけが、過ぎ去った時間の長さを無言で語っていた。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。