※本エッセイはすべて創作です。登場人物・学校・面談・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織とも関係ありません。
4月の面談室は、白い。
蛍光灯がひとつ、机の真上で点いている。机は事務用の長机で、角がメラミンの剥がれかけた灰色だ。窓の向こうで体育館の外壁工事の足場が組まれていて、金属が金属を打つ音が、3秒に1回ずつ届く。私はその音を聞きながら、扉の向こうの足音を待っている。
3年生が一人、面談室に入ってくる。一礼して、椅子を引いて、座る。ここまでで20秒。残り14分40秒。机の上には、まだ丸が一つも付いていない進路調査票が置いてある。私の役目は、この14分40秒で、その紙のどこかに、丸を一つ、生まれさせることだ。
そして私は、口を開く。「何か、やりたいことありますか」。
「何かやりたいことありますか」は、よく考えると、奇妙な日本語だ。
主語がない。目的語もない。「何か」と「やりたいこと」のあいだに、いっさいの限定がない。芸能人になりたいのか、コンビニで店長になりたいのか、博士号を取りたいのか、午後3時に冷たい水を飲みたいのか、何をどの解像度で答えていいのかわからない。
けれど、答える側には、明確に求められているものがある。「ある」か「ない」かだ。「何か、ありますか」は、二択を迫る形をしている。「ある」と言えば、次は「それは何ですか」と聞かれる。「ない」と言えば、その「ない」を、相手の前で15分間、説明し続けなければならなくなる。
私はこの問いを、毎年4月、3年生40人に向けて発し続けてきた。一人につき15分。40人で10時間。10時間のあいだ、私は「ある」か「ない」かを、相手に40回、迫っていた。
進路アドバイザーになって25年目の春に、ふと、これは尋問の形をしていると思った。
進路面談の15分には、沈黙が必ず混じる。短くて10秒、長くて1分。
その沈黙は、私の側の沈黙と、3年生の側の沈黙とで、まったく違う重さを持っている。
私の沈黙は、業務の沈黙だ。次の生徒のカルテに目を通しながら、待っている。冷たいわけではない。沈黙は思考に必要だと知っているし、知っていてあげている、という穏やかな自覚すらある。15分が終われば、扉のすぐ外に次の3年生が立っている。私はその子のために、頭を切り替える準備を、いまの沈黙のあいだにしている。
3年生の側の沈黙は、そうではない。机の角を見つめている。蛍光灯のジリジリという音が大きく聞こえてくる。スカートの膝のあたりで、ボタンのない手が、ふいに、何かを握りしめる。その15分の沈黙の向こうに、その子の次の人生がある。私は次の生徒だが、その子は次の人生だ。
同じ部屋の、同じ机をはさんで、同じ秒数だけ流れているはずの時間が、二つの肺で、まったく違う深さで吸われている。私の肺は浅い。その子の肺は、たぶん、ずっと深い。
進路調査票には、丸を付ける欄が決まっている。「四年制大学」「短期大学」「専門学校」「就職」「その他」。「その他」の横に、ごく小さな空白の括弧がある。
この紙の上で「やりたいこと」と呼ばれているのは、職業か、学部か、目標のいずれかだ。「電車に乗るのが好き」は、「やりたいこと」ではない。「鉄道会社に就職したい」と翻訳されてはじめて、丸の付く位置が決まる。「夕方の空が好き」は「やりたいこと」ではない。「気象予報士になりたい」と翻訳されてはじめて、認識される。翻訳されないものは、紙の余白に、永遠に残る。
私はこの翻訳の作業を、25年やってきた。ある時期からは、それを「言語化のお手伝い」と呼んでいた。よい言葉だと思っていた。本人の中にあるはずの「やりたいこと」を、丸の付く形に、こちらが整える——そういう仕事だと思っていた。
けれど、本人の中に、最初から丸の形をしたものなんて、たぶん、ない。「電車が好き」は、丸の形をしていない。それは、夕方の駅のホームで、来ない電車を待ちながら、来ないこと自体に少し安心する、という、紙に書けない形をした何かだ。「やりたいこと」の枠は、その形のものを、いつも漏らす。
去年の4月、サトウさんが面談室に来た。仮名だが、3年4組の、出席番号の早いほうの女子生徒だ。
背は低くも高くもない。制服の第二ボタンが、私から見て少しだけ右にずれていた。声が小さい。「失礼します」がほとんど聞こえなかった。座ってからも、視線はずっと机の角の、メラミンの剥がれた一点に落ちていた。私が話しかけると、目を上げるが、ほんの2秒、目が合うとまた落ちる。靴は内履きで、左の踵が少しすり減って、椅子の脚に当たっていた。コツ、コツ、と二度、当たった。
「何か、やりたいことありますか」と私は聞いた。
サトウさんは、しばらく黙った。それから、小さい声で、「やりたいことはないんですけど」と言った。
「ないんですけど」のあと、サトウさんはもう一度黙った。
その沈黙は、長かった。私の体感で、1分くらいあった。実際は40秒だったかもしれない。50秒だったかもしれない。机の上の調査票の角が、エアコンの風でゆっくり持ち上がって、戻った。蛍光灯がジリジリ言った。外壁工事の金属音が、3秒ごとに、3回、4回。
その1分のあいだ、サトウさんは、何かを言いかけては飲み込んでいた。唇がわずかに動く。動いて、止まる。第二ボタンの下のあたりで、両手の指が一度組まれて、ほどけた。
私は、その1分を待てなかった。
正確に言えば、待つべきだと思いながら、別の声で「じゃあ、何が好き?」と聞いた。
サトウさんは、目を上げて、私を見た。3秒くらい見た。それから、「ええと」と言って、また目を落とした。「好きなものも、特にないかもしれません」と言った。声がさっきより、ほんの少しだけ小さかった。
あとで、わかった。「何か、やりたいことありますか」が一つ目の檻だったとしたら、「じゃあ、何が好き?」は、二つ目の檻だった。私は、扉を開けたつもりで、もう一つ扉の閉まった部屋に、サトウさんを案内したのだった。
サトウさんを面談室から送り出したあと、職員室に戻る廊下で、25年前の自分の進路相談室を思い出した。
私が高校3年だった年の、たぶん10月くらいだったと思う。担任ではない、進路指導の先生のところに呼ばれた。先生は中年の男性で、黒い革のシステム手帳を机に開いて、私の調査票を見ていた。私の調査票も、たぶん、丸が一つも付いていなかった。
その先生は、しばらく私の顔を見て、「あなたは、何が好き?」と聞いた。
私は答えられなかった。
正確に言えば、いくつか頭に浮かんだものはあった。図書館の、地下二階のカーペットの匂い。バス停の前のミスドの、グラスドの底の砂糖のかたまり。妹が小さい頃に握っていた、紫色のうさぎのぬいぐるみの、左の耳。けれど、そのどれも、進路相談室で口に出していい「好き」とは思えなかった。職業に翻訳できなかった。学部に翻訳できなかった。だから私は、「特にないです」と答えた。先生は少し困ったような顔をして、「困ったね」と言った。
あの「困ったね」を、私は、25年経ったいまも、覚えている。
そして去年の4月、私は、25年前の自分が言われた言葉を、自分の口から発して、サトウさんに渡した。「じゃあ、何が好き?」。あの先生に悪気がなかったように、私にも悪気はなかった。サトウさんが小さい声で「好きなものも、特にないかもしれません」と言ったとき、彼女の中で何かが、私の25年前と同じ形で、潰れた音がしたのではないかと思う。実際の音はしなかった。けれど、潰れる音は、いつも、しないものだ。
「やりたいこと」は、答えるものではなく、生まれるものなのではないかと、いまは思っている。
夕方の空が好き、という何かが、ある日、夕方のホームで、ふいに「気象予報士って、どうやってなるんだろう」と、自分の中で勝手につながる瞬間がある。あるいは、つながらないまま、ただ夕方の空を眺める人として、その人は生きていく。どちらでもいい。「やりたいこと」は、紙の上の丸ではなく、その人の中で、勝手に育つものだ。
進路面談は、その「生まれる」のを、邪魔しない場所であってよいのかもしれない。答えを引き出す場所ではなく、答えを急がない場所。「ある/ない」を迫らない場所。サトウさんの1分の沈黙を、1分のあいだ、ただ一緒に座っている場所。
けれど、ここで終われない。
毎年4月、私は、120人の3年生に、白紙の進路調査票を一人一枚ずつ配っている。配るのは私の業務だ。回収して、丸の付いている数を数えるのも、私の業務だ。校長室での会議で「今年の進路希望提出率」を報告するのも、私の業務だ。提出率が低いと、保護者会で説明する材料を増やさなければならない。
「生まれるのを邪魔しない場所」を作りたいと書いた、その同じ手で、私は来週、120枚の白紙を配る。白紙を配ることは、「ある/ない」を迫ることだ。私の足元で、そのことが矛盾していて、矛盾は、解けていない。
サトウさんの面談票を、この4月、もう一度開いた。卒業した。志望理由はあとから埋まった。「ある」のほうの欄に、最終的に丸が付いた。
けれど、あの去年の4月の1分間、彼女が机の角を見ながら飲み込んだ言葉が何だったのかを、私はまだ知らない。たぶん、永遠に知らない。私が「じゃあ、何が好き?」と発した瞬間、その言葉は、別の出口を探して、彼女の体の奥に戻っていった。戻った先で、それがどうなったかは、調査票には書いていない。
面談室の蛍光灯は、今年もジリジリ鳴っている。机の角のメラミンは、相変わらず剥がれている。今週の月曜から、また3年生が来る。私は、また「何か、やりたいことありますか」と聞いてしまうかもしれない。聞かないでいられる自信はない。聞いてしまったあと、1分の沈黙を、今度こそ1分間、ただ座って待つことが、できるかどうかも、わからない。
前に書いたエッセイでは、私は肩を貸さなかった。今度は、肩を貸そうとして、相手をもう一つの檻に入れた。同じ職業の、同じ机の前での、別の失敗だ。机の角は、25年、同じ場所にある。
書き手・カワセトモコ(進路アドバイザー)