売り場の、地図(第二稿)
「あれ」が「あれ」のまま渡される場所で

ミブカレン(24歳・100円ショップの品出し6年)

2020年、高校三年の春に働きはじめた。レジを打つのだと思っていたら、最初に渡されたのはカッターだった。段ボールのフタの合わせ目に、刃の先二ミリだけをあずけて、手前から奥へ一息で引く。深いと中身まで切る。浅いとテープが汚く残る。その二ミリを、手は一週間で覚えた。仕事の半分は品出しで、もう半分は「あれどこですか」に答えることだった。

商品には番地がある。霧吹きはBの07、メラミンスポンジはAの12、毛玉取りはレジ前の回転什器の二段目。私はいま、頭の中で番号から言ったが、客はこの順では来ない。

客は「あれ」で来る。「こうやってシュッてやるやつ」と手首を振る人がいる。私の手は、その人の言葉を聞き終える前にBの07を指している。「テレビでやってた白いの」にはAの12。「服のここを」と肩をつまむ仕草には、レジ前の回転什器。「あれ」は曖昧だが、手の動きが付くと番地に化ける。新人のころ、商品名を片端から覚えようとした私に、先輩が品出しの手を止めずに言った。「商品名を覚えるな。使い道で覚えろ。客は使い道で探しに来る」。

売り場は季節で替わる。ハロウィンが終わった夜、閉店後にオレンジと黒の什器をぜんぶ崩し、同じ場所に赤と緑と金を積んだ。昨日まで蜘蛛の巣だった棚が、朝には聖夜になっている。客は何ごともなかったように新しい売り場の前に立つ。世界が一晩で衣替えするのを、私たちは裏から手で押している。

廃番は一枚の紙で来る。この商品はもう入りません、という事務的な紙だ。紙が来たら、棚の値札を抜き、空いたフェイスを隣の商品で詰める。ある銘柄の歯ブラシの値札を抜いた翌週、それだけを買いに来るおばあさんが立った。もう入らないんです、と言う前に、私は自分が先週その値札を抜いた手を思い出していた。穴はもう、別の歯ブラシで埋まっていた。

「これも100円なんですか」と、よく聞かれる。半信半疑の人、申し訳なさそうな人、得意げな人。同じ問いが、聞く人の数だけ違う表情で来る。私は番地を答えるだけだが、その人が何を「あれ」と呼んだかで、その人が少しだけ見える。

新商品の箱を開ける朝がある。バーコードを読ませてもエラーになる、まだどの什器にも属していない商品が、フタの下に並んでいる。値札シールはまだ一枚も折れていない。私はそれを手に取り、どんな「あれ」で探されるだろうと考えながら、番地を決める。

6年で、什器番号はいくつ覚えたか分からない。覚えていないのは、客が正しい商品名で来た回数だ。一度もない。みんな「あれ」で来る。手首を振り、肩をつまみ、白いの、と言う。私の手はそのたびに、どこかの番地を指している。

← 第一稿
辛口レビュー
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。