工場見学の、日(第二稿)
産地のオープンファクトリー、手を見せるということ

ミハシアオイ(28歳・眼鏡フレーム職人8年)

年に一度、工場を開ける日がある。前の週、組合の打ち合わせで順路を引いた。生地を切る刃物の前は立たせない。指を落とした人を、私は二人知っている。配合の比率と仕入れ先の問屋名は言わない。バフの火花と、生地を蛍光灯にかざして柄を読むところは見せる。危ないもの、言えないもの、見ていて面白いもの。その三つに分けて、矢印を床に貼っていった。

当日、私は削りの持ち場に立った。毎日やっている。目をつぶってもできる。子ども連れの列の前で、私は説明を始めた。「ここに、こう……」と言いかけて、止まった。刃に生地を当てる角度は、コンマ何度かで角が立つか丸まるかが変わる。手はその角度を知っている。けれど、私はその角度を、数字でも言葉でも持っていなかった。手が知っていて、口が知らない。八年やってきた工程が、見せる側に回った途端、私の前に立ちはだかった。

列の前に、小学校の低学年くらいの男の子が出てきた。私の削った枠を指さして、聞いた。「なんで眼鏡って曲がってるの」。テンプルのしなりのことだ。耳にかかる手前で、すっと内側へ入る、あの曲線。私は詰まった。曲がっているのは当たり前で、その当たり前を、私は一度も疑ったことがなかった。

顔に沿うからだ、と言いかけて、それだけではない、と思った。曲げの角度は、耳の上での落ち着き方と、しなりの戻る力を決めている。まっすぐな腕では、眼鏡は顔に住めない。私が最初の年に曲げを失敗した枠は、耳の上で前へ滑り落ちて、客の鼻の上で止まった。あの落ち方を思い出しながら、私は何も答えられずにいた。子どもはもう、次の工場へ走っていた。

昼すぎ、ひとりの女性が、私の磨いた枠を手に取った。掛けて、鏡を見ず、すっと横を向いた。それから人差し指でテンプルを耳の上へ押し下げ、首を二度、上下に振った。落ちてこないかを確かめる仕草だ。検品のとき、私が自分の顔でやるのと同じだった。彼女は枠を外して、これをください、と言った。私の手から出た一本が、その人の顔に乗って、戸口を出ていった。

夕方、持ち場を離れて、近所の丁番工場へ行った。同業でも、隣の工程を見るのは初めてだった。私が削った枠を受け取って、腕と枠をつなぐ蝶番を打つ工場だ。小さな金属を万力にくわえて、こつ、こつ、と入れていく。その、こつ、という音。私がいつも当たり前に受け取っていた丁番は、この音の数だけ打たれていた。分業の地図の、隣のマス目が、初めて音を立てた。

翌日、工場はいつもの静けさに戻った。足音も、子どもの声もない。バフの唸り。生地を切る機械の音。削り粉が床に落ちる、かすかな音。いつもの音だ。私は削りの枠を一本取り上げ、テンプルを曲げにかかった。手が、いつもの角度へ動く。その途中で、一度だけ止まった。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。