ミハシアオイ(28歳・眼鏡フレーム職人8年)
生地屋の見本帳は、分厚い。何百種もの柄の板が、リングで綴じてある。べっ甲調、マーブル、クリア。ページをめくると、板と板がかちりと鳴る。眼鏡の柄が決まるのは、この棚の前だ。一本の眼鏡の表情は、ここでもう半分が決まってしまう。
板を一枚、棚から抜く。窓辺へ持っていって、光にかざす。アセテートは表の柄だけではない。底に、いくつもの層が沈んでいる。べっ甲調なら、茶の濃淡が何段も重なって、底のほうがいちばん深い。光を通すと、その層が浮かび上がる。切り出しの前に板を光にかざすのは、この産地の、ささやかな儀式のようなものだ。柄の底の層を見る目が、職人の目なのだと思う。
同じ一枚の板でも、どこを切るかで表情が変わる。柄は板の中を流れている。マーブルの渦が、端では細く、中央では大きくうねる。前枠を渦の中心から取れば、顔の前で柄が大きく開く。テンプルは、その渦の流れの続きから取る。前枠とテンプルで、柄をひとつながりに見せたいからだ。位置をほんの数センチずらすだけで、柄の合う眼鏡にも、合わない眼鏡にもなる。
柄合わせは、パズルに似ているのかもしれない。一枚の板の中から、前枠の分とテンプル二本の分を、柄が続くように取っていく。けれど板は有限で、柄の良いところは限られている。前枠を欲張れば、テンプルの柄が痩せる。どこを生かして、どこを捨てるか。板の上に型を置きながら、私はいつも少し迷う。
柄にも流行がある。今年はくすんだ緑がよく出る。去年は琥珀色だった。デザイナーや問屋が、その年の色を持ってくる。一方で、定番の柄もある。黒、べっ甲、透明。流行がどれだけ動いても、棚のいちばん手前には、いつもこの三つが並んでいる。流行は周期で巡り、定番は動かない。眼鏡の柄は、服よりもゆっくりと、けれど確かに流行を持っている。
廃番になる柄がある。生地屋が作るのをやめると、その板は二度と入らない。棚の隅に、もう作れない柄の最後の一枚が立っていることがある。私はそれを、簡単には切れない。次に同じ柄を頼まれても、もう出せないからだ。最後の一枚をいつ、誰の眼鏡のために切るか。一期一会の柄だと思うと、型を置く手が止まる。
図面には色の指定が入っている。デザイナーが「深い飴色で」と書いてくる。けれど、図面の色と、棚の板の色は、同じではない。紙のインクと、アセテートの層が透ける色は、別のものだ。私は図面を片手に、棚の板を光にかざして、いちばん近い一枚を探す。図面の言葉を、実物の生地へ翻訳する。その翻訳が、たぶん私の役目なのだろう。
アセテートの艶は、使い込むほどに育つ。新品の板は、まだ硬い艶をしている。それが顔の脂や、拭く布や、年月で、しっとりと深くなる。十年掛けた眼鏡の透明感は、店先の新品には出せない。私が棚の前で選んでいるのは、今日の色ではなく、十年後に育つ色なのかもしれない。
柄の流れを読むのが、私の仕事なのだ。板の底の層を見て、渦の中心を探し、前枠とテンプルで柄を合わせる。光にかざした一瞬で、その眼鏡の十年後までを見ている。棚の前に立つたび、私は何百種の柄と、ひとつずつ向き合っている。今日もまた、一枚の板を抜いて、窓辺へ持っていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。