二百の、工程(第二稿)
産地の工場に入った年、掛け心地の観察者になるまで

ミハシアオイ(28歳・眼鏡フレーム職人8年)

二〇一八年、二十歳の春に、私は産地の工場に入った。高校を出て二年、ふらふらした後だった。手の甲にいまも、アセテートの削り粉が乾いて白く残っている。八年経っても、洗っても、すぐまた付く。

入った日に親方が言った。「眼鏡は顔に住む道具だ。一日中触れてるのに、忘れられてないといけない」。言葉の意味は、まるでわからなかった。住む、と忘れる、がどうつながるのか。私はとりあえず、生地の切り出しから教わった。

アセテートの板には柄が流れている。同じ一枚でも、端から型を取るか中央から取るかで、出てくる模様がまるで変わる。先輩は板を蛍光灯にかざし、柄の川筋を見て、型をどこに当てるか決めていた。一本の眼鏡の顔が、板のどこを切るかで決まる。最初の半年、私はその当て方を任せてもらえなかった。

テンプルの中には金属の芯を入れる。芯金という。樹脂を熱で柔らかくして、押し込む。温度が低いと入りきらず、高いとアセテートが焦げて茶色く泡立つ。私は最初の月に、何本も焦がした。芯がうまく入っていない枠は、半年後に、客の手の中で、耳のあたりからぱきりと折れる。外からは芯は見えない。掛けた人は一度も芯を見ないまま、毎日その細い金属に耳を預ける。

磨きはバフという布の車輪に枠を当てる。当てると、布が枠を弾いて、ぶる、と腕に反動が来る。摩擦で枠はすぐ熱くなり、持っていられなくなって持ち替える。当てすぎると角が丸まって、別物になる。先輩の磨いた枠と私の磨いた枠を、親方は触らずに、光にかざすだけで言い当てた。「これはお前のだろう」。どこが違うのか、私にはまだ見えなかった。

産地には分業の地図がある。丁番だけの工場、メッキだけの工場、ロウ付けだけの工場。一本の眼鏡は、この町の戸口をいくつもくぐって、ようやく一本になる。私が受け持つのは、その旅のほんの一区間だ。自分が削った枠が、よその工場を回って帰ってきて、別人のように完成しているのを、私は何度も見た。

検品を任されたのは、入って三年目だった。左右の歪みを見る。教わったのは「顔は左右非対称だ」ということ。完璧に左右対称の眼鏡が、必ずしも顔に合うとはかぎらない。ある日、私はテンプルの開きが〇・三ミリ違う枠を、合格にした。数値の範囲には入っていた。だが翌週、その客が「右だけ少し落ちる」と言って戻してきた。範囲に入っていても、顔は落とす。私はそれ以来、ノギスより先に、自分の顔に枠を乗せて開きを見るようになった。

八年経った。客は掛け心地を「軽い」「ずれない」の一言で言う。その一言の裏に、削り粉と、焦がした芯金と、バフの反動と、〇・三ミリがある。よくできた眼鏡は、掛けていることを忘れさせる。親方の言葉が、ようやくわかる。住むとは、忘れられることだった。今日も私は、人の顔に乗った眼鏡を見ると、芯金がどう入っているかを、つい想像してしまう。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。