ミコガミツバサ(43歳・手袋編機の調整工21年)
電話は、夕方の段取り替えの途中で鳴った。三筋向こうの古川さんだった。「機械、どうしようかと思ってな」。それだけで、用件はわかった。古川さんは七十を越え、息子は東京で勤め人をしている。後継ぎのない工場の最後は、いつも機械をどうするかの相談から始まる。消えゆく産地の、これもひとつの景色なのだろう。
翌朝、軽トラで行った。古川さんの編立場は、うちより一回り小さい。十一台。半分は私の知らない古い機種で、半分はうちと同じ系統の七ゲージと十三ゲージだ。「使えるのは持ってってくれ。あとは鉄屑屋でええ」。古川さんはそう言ったが、鉄屑にしてしまえば、三十年回った機械が、ただの目方になる。それは少し、しのびない気がした。
選別の目は、まず針床に行く。針が総じて立っているか、寝た針が散らばっているか。寝た針が多い機械は、使い込んで手入れが追いつかなくなった機械だ。次にカム板を見る。摩耗が均してあれば直してきた証拠、痩せて段が出ていれば限界まで使った証拠。古川さんの十三ゲージは針床がよく、これはうちで働ける。古い二台は部品取りだ。まだ働ける機械と、部品になって他を生かす機械を、その場で分けていく。
相性も見る。引き取る機械が、うちの列に入って馴染むかどうか。給糸の経路、モーターの規格、カム板のピッチ。同じ七ゲージでも、メーカーが違えば送り歯の歯数が合わない。古川さんの十三ゲージはうちの奥の二台と同じ血筋で、部品が融通できる。摩耗したら、片方の端をもう片方が補える。機械にも、合う相手と合わない相手があるのだと思う。
分解は、油と埃の三十年をほどく作業だ。給糸の経路を外し、カム板を抜き、針を一床ずつ番号順に並べて袋に分ける。順番を崩せば、組み直すときに迷う。ボルトは固着していて、ひとつ緩めるたびに、固まった油が爪に黒く入る。三十年ぶんの埃が、カム板の裏に毛羽の層になって溜まっていた。手を動かしながら、この機械が編んだ手袋の数を思うと、なんだか胸に来るものがある。
部品取りの古い二台は、うちへ運んでから棚に上げる。針、カム板、送り歯、給糸の金具。使える部品を外して、種類ごとに棚へ分ける。うちの奥の二台は、作ったメーカーがもう消えている。部品はもう出ない。古川さんの機械から外したカム板が、その消えたメーカーの機械を、もう少し長く生かす。廃業した工場の機械が、別の工場の機械を生かす。産地の機械は、どこかでみな血が繋がっているのだと思う。
分解の途中、給糸架の脇に妙な金具が括りつけてあった。市販の部品ではない。古川さんが鉄板を曲げて作った、糸の通りを一段落とすための治具だった。「ああ、それな。あの糸が暴れるんで、こさえた」。その人にしか意味のわからない工夫が、機械のあちこちに残っている。手作りの治具は、説明書のない一行のメモのようなものだ。私はそれも外して、持ち帰ることにした。
機械が全部出たあと、古川さんと空の編立場に立った。コンクリートの床に、機械のあった四角い跡が、油染みになって残っている。どの列に何ゲージがあったか、染みの濃淡が覚えている。古川さんは長いことその染みを見ていた。「ここで五十年やったんやなあ」。私はかける言葉が見つからなかった。機械の出た工場は、ただ広くて、静かだった。
一週間後、古川さんの十三ゲージが、うちの列で動き出した。針を見直し、給糸を組み直し、例の手作りの治具も付けてやった。試し編みの一双が、きれいに上がってきた。機械の血縁が、産地というものなのだ。一台が消えても、その針とカム板は別の機械に散って、産地のどこかで回り続ける。今朝も、古川さんから来たあの一台が、私の工場で拍を刻んでいる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。