増水の、翌日
水が引いても、川は元に戻っていない

ミコシバトワ(27歳・川下りの船頭5年)

大雨で、一日舟を止めた。翌朝、雲が切れて、川は嘘のように静かな顔をしていた。けれど自然はときに牙をむき、人はその前にただ頭を垂れるしかない。水位は下がり、流れも収まったように見える。元に戻ったように見える。船頭の朝は、その「見える」を疑うところから始まる。

舟着き場には水位計がある。岸壁に刻んだ目盛りに、川の高さが今いくつかを示す。昨日の正午は警戒の赤い線をはるかに越え、今朝は平水の青い線まで戻っていた。数字の上では、出してよい。だが私は計を見たあと、必ず川そのものを見る。数字は判断の根拠でしかなくて、最後に決めるのは目だからだ。たぶん、そういうものなのだと思う。

目で見るのは、二つ。濁りと、速さだ。増水の翌日の水は、まだ茶色い。その茶色が、抹茶のように濃く沈んでいるか、薄く澄みかけているかで、上流にまだ水が残っているかが分かる。流れの速さは、岸の杭の根もとに立つ波の高さで測る。今朝の濁りは、薄い番茶の色まで落ちていた。速さも、いつもの瀬の唸りに近い。出せる、と目が言った。

けれど水が引いても、川は元に戻っていない。増水は瀬の形を変える。強い流れが川底の砂利を押し流し、昨日まであった瀬を削り、別の場所に新しい瀬を盛る。つまり、昨日まで竿を置いていた一点が、今朝は消えている。地図が一晩で書き替えられている。だから増水の翌日は、覚えた川がいちばん役に立たない日なのだ。

もうひとつ、増水が運んでくるものがある。流木と、漂着物だ。上流の山から折れた枝や、流された誰かの何かが、流れの緩む淵の底に沈む。水面からは見えない。けれど舟の底を裂くには十分な障害物だ。私は再開の朝、コースを一度、客を乗せずに下って、竿先で底をさらう。引っかかるものがあれば、舟を寄せて、手で引き上げる。昨日の朝にはなかったものが、いくつも沈んでいる。

川には、私たちより上流にダムがある。増水のあとは、ダムが溜めた水を少しずつ放流する。放流が始まると、晴れていても川は増える。だから朝の見回りの前に、必ず放流の連絡を確かめる。今日の予定、量、時刻。それを頭に入れて、川の今と、これから来る水の両方を読む。自然と人とが、同じ川の上で時間をずらして力を出している。

再開初日の一便目は、私が先頭の舟に立つ。ベテランが先に下って、新しくなった川を確かめる役だ。消えた瀬、盛られた瀬、沈んだ流木——それを一便ぶん、体で確かめて、舟着き場に戻る。そして後続の船頭に申し送る。「中ほどの瀬、右に寄った。左岸の淵に枝が一本、まだ残ってる」。一便目は、いつもの倍、ゆっくり下る。

お客には、川が変わったことは言わない。正確には、怖がらせない程度に言う。「昨日の雨で、少し水が多うございます」。それ以上は言わない。お客が乗っているのは、変わってしまった川の上だ。けれどその不安を背負うのは船頭の側で、お客はただ、晴れた川のきれいさだけを持って帰ればいい。語りは、見えない変化を隠すためにある。

川は毎日変わる。増水の翌日は、その変化がいちばん大きいというだけのことだ。覚えた川を捨てて、今日の川を読む。それを毎朝くり返すのが、船頭という仕事なのだろう。水位計の数字も、濁りの色も、瀬の音も、ぜんぶ今日の川を読むための手がかりだ。私は今日も、変わってしまった川を、新しく読み直している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。