クレーンの、解体
何か月も座った操縦席を、最後に降りる日のこと

ミナセイブキ(26歳・タワークレーンオペレーター4年)

建物が建ち終わると、タワークレーンは自分を解体する。最後まで現場に残って、最後にいなくなるのがクレーンだ。役目を終えたクレーンは、自分で自分を低くしていく。クライミングダウン、というその作業のことを、私はずっと考えていた。

昇るときと逆のことをする。マストの一節をフロアの下から抜き、油圧でクレーンを一節ぶん沈め、また一節抜く。建つときに少しずつ背を伸ばしていったクレーンが、今度は少しずつ背を縮めていく。自分の体を、自分で短くしていくような作業だったと思う。

解体の前の日、私は操縦席を片付けた。何か月もそこに座っていた席だ。机の上のものを片付けるのと同じ手つきで、私は操縦席のものを片付けた。座布団、無線のホルダー、養生テープで窓に貼った時刻表。テープは日に焼けて、剥がしたら少し跡が残った。私はしばらく、その跡を見ていた。

窓の外には澄んだ秋の空が広がっていて、操縦席にはいつもの油と鉄の匂いが静かに満ちていた。何か月も毎朝この高さまで昇って、無線の声を聞いて、荷を降ろして、また降りていった。その繰り返しが、今日で終わるのだ。最後にもう一度、巻き上げのフックを格納の位置まで巻き上げた。いつもより、ゆっくり巻いた気がする。

翌日、解体班が来た。クレーンのジブ——あの長い腕を、地上のクレーンで吊り降ろしていく。何か月も空にあったものが、地面に置かれる。横たわったジブを、私は地面に立って見た。空にあったときは、あんなに大きかったものが、地面に置かれると、思ったより小さい。分解されたマストの一節一節が、トレーラーの荷台に積まれて、現場を出ていった。

次の現場の朝、私はまた別のクレーンの梯子を登った。現場は変わる。クレーンも変わる。けれど、登る梯子の段数の感覚は、手足が覚えている。何段で一息つくか、どこで握り替えるか、体が勝手に知っている。朝礼の声が下から聞こえる。私はまた、いちばん高い場所へ昇っていく。

その日の昼、休憩のときに、前の現場のほうを見た。私のいたクレーンはもうない。代わりに、完成したビルが建っていた。私はそのビルを、下から見上げた。何か月も私がいた高さに、いまは窓がある。誰かがそこで働くのだろう。私のいた場所は、もうクレーンの席ではなく、誰かの部屋になっていた。

クレーンは、自分で自分を解体して、建てた物に居場所を譲るのだ。空にいられるのは、建物が建つまでの間だけ。建ち上がってしまえば、いちばん高い場所は、もうクレーンのものではない。私たちは、自分のいた高さを、誰かに明け渡すために昇っているのかもしれない。それが、いちばん高い場所にいる人間の、いちばん寂しい仕事なのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。