ミナセイブキ(26歳・タワークレーンオペレーター4年)
朝、運転席に昇って最初にすることは、風速計を見ることだ。地上が穏やかでも、上は吹いている。地上で旗が垂れている日でも、数十メートル上のジブの先では、風がまったく別の顔をしている。空はいつも、地上より少し早く荒れはじめる。
クレーンには、風速の中止基準がある。瞬間風速が一定の数値を超えたら、その日の作業は止める。地上は穏やかなのに、上だけが基準を超えていることがある。そのとき「上は無理です」と無線で言う役は、いちばん高い場所に一人で座っている私だ。地上の誰も、上の風を体では知らない。
風は、数字で見る。けれど、体でも分かる。基準に届く前から、ジブがわずかに揺れはじめる。吊った荷が、掛けたときよりも大きく振れる。指先に伝わるその揺れで、私は風速計が示すよりも先に、今日が危ういと感じる。長年この席に座っていると、風は数字になる前から、体にまとわりついてくるものなのかもしれない。
けれど、現場には工程がある。中止すれば、その日の予定は遅れる。無線から、現場監督の声が聞こえる。「あとワンスパンだけ、いけないか」。あと一区画ぶんの鉄骨を、置いてしまいたいのだ。その気持ちはよく分かる。私はレバーから指を離さないまま、風速計の針を見る。規定の数字と、地上の声と、その間に私は座っている。
「上は無理です」。そう言ったとき、無線の向こうは一瞬、静かになった。それから監督が「わかった、今日はしまおう」と言った。私はジブを風に正対させ、旋回をフリーにする。旋回フリーというのは、ブレーキを解いて、ジブが風見鶏のように風の向きへ自由に回れるようにすることだ。そうすれば、横からの風を受けて倒れることがない。クレーンは、風に逆らわずに、風に従って自分を守る。
中止して梯子を降りると、地上の空気が少し変わる。「下りてきたんだ」という顔を、みんながする。責められているわけではない。けれど、自分の判断で全員の手を止めたという事実が、地面に立った瞬間、急に重くなる。空を見上げると、雲が速い。やはり、上は吹いていたのだ。私の体は、間違っていなかった。
台風が来る前の日は、特別な養生をする。ジブを風に立て、旋回をフリーにし、フックを巻き上げて固定する。クレーンを、いちばん風に強い姿勢にして、一晩あずける。翌朝、まだ風の残る現場で、私はワイヤーを一本ずつ点検する。緩みはないか、よじれはないか。台風は、クレーンにとって、いちばん長い夜だ。
いつからか私は、吹き始めの予兆を、旗と鳥で読むようになった。地上の旗が、ふっと一方向に揃ってなびきはじめると、上ではもう風が立っている。鳥が、いつもと違う高さを飛ぶ日がある。数字が教えてくれるより早く、世界はあちこちで風の予告をしている。それを読めるようになったのは、たぶん、この席に座りつづけたご褒美のようなものだ。
中止を決めるのは、いつも怖い。けれど、いちばん高い場所にいる私にしか、上の風は分からない。地上の誰も知らない風を、私だけが体で知っている。だからきっと、中止を言える者だけが、この席に座っていいのだ。風に従い、人を止め、そして降りていく。それが、いちばん高い場所にいる人間の、いちばん地味な仕事なのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。