ミナヅキレン(33歳・内装解体11年)
店舗やオフィスを箱に戻す仕事をしている。今度の現場は百貨店だった。長くやってきた館は、それ自体が一つの生き物のような重みを湛えていて、退店するテナント一区画を、私はまた躯体だけのスケルトンに戻しに行く。次のテナントの内装屋に、元通りの区画を渡すために。
商業ビルでも音と養生には気を遣ってきたつもりだったが、百貨店の作法はその比ではなかった。搬入はすべて時間が決められている。朝の開店前のわずかな枠、あるいは閉店後の枠。台車の通る通路、エレベーターの号機、養生のき準。提出した工事届の通りにしか、人も物も動けない。荒っぽく見える解体という仕事が、ここでは分刻みの届出の上に乗っていた。
立ち会いに来たのはオリハラミツルさんという人だった。この館の施設管理を三十六年やってきたという。区画の天井点検口を私が開けるより先に、オリハラさんは天井裏に何がどう走っているかを諳んじていた。「この梁の向こうで分岐して、隣の宝飾の天井裏を抜けて、その先のEPSに戻る」。図面を見ずに配管図をそらんじる人を、私は初めて見た。
テナントの壁の裏には、館の動脈が通っている。そのテナントだけの線と、館全体を生かす共用の線とが、同じ天井裏で隣り合っている。切っていい線と、切ってはいけない線。オリハラさんは天井裏を指差しながら一本ずつ確認していった。「これは殺していい。これは生きてる。これは触るな」。指の先が、見えない館の血管を一本ずつ名指していく。
夜間作業の音にも規定があった。眠らない館、という言い方をオリハラさんはした。閉店後も館は止まらない。隣区画の宝飾店には、わずかな振動でも反応する振動計が置かれていて、私たちのハツリがその閾値を越えれば作業は止まる。壁の落とし方の前に、私はここでも、音と揺れの落とし方から覚え直した。
引き渡し前の朝は、養生検査の往復だった。搬出路に敷いた養生を一枚ずつめくり、傷がないかを確かめる。オリハラさんは白手袋で手すりや壁を撫で、指の腹に跡がつかないかを見ていく。白手袋の指に何もつかなければ合格。汚れがつけば、私はもう一度通路に戻る。朝の点検は、何度でも往復した。
休憩のとき、オリハラさんと立ち話をした。私は跡を消す仕事で、あなたは跡を残さない仕事ですね、と私が言うと、オリハラさんは少し笑った。「あんたは消すために来る。おれは保つためにいる」。同じ廊下に立って、向きだけが逆の二人だった。私は前の暮らしの跡を消し、オリハラさんは館の状態をそのまま明日へ保つ。逆の責任が、同じ廊下にあるのだ。
区画は躯体だけの箱に戻った。共用の線は生きたまま、テナントの線だけが消えている。私はもう一度足を運ばない。けれど知っている。次の鍵を受け取った内装屋が、この区画でこれから墨を出しはじめる。そしてオリハラさんは、その工事届にもまた目を通し、白手袋で通路を撫でているだろう。長い館は、そうやって何も変わらない顔のまま、中身だけを入れ替えていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。