ミナヅキレン(33歳・内装解体11年)
店舗やオフィスを箱に戻す仕事をしている。テナントが出たあと、内装をはがし、躯体だけの状態に戻す。骨組みだけ。これをスケルトンと呼ぶ。私が空にした区画には、やがて次の内装屋が入り、別の誰かの店を建てる。
二〇一五年の春、二十二歳でこの会社に入った。最初の現場は、潰れた定食屋だった。天井は油で飴色に焼けていて、床のクッションフロアには、外したテーブルの脚の跡が四つずつ、白く残っていた。親方に連れられて、私はバールを渡されるものと思って突っ立っていた。親方は腕を組んだまま、動かなかった。
「壊す前に見ろ」と親方は言った。「どう作ったかが分かれば、どう壊すかは決まる」。親方は壁の前にしゃがんで、石膏ボードの表面を指で撫でた。指は、塗装の下に沈んだビスの頭を一つずつ拾っていく。「455で並んでりゃ下地は尺モジュールだ。二本寄ってるとこが、ボードの継ぎ目」。ビスの列が、見えない下地の骨を地図にして浮かび上がった。下地の走りが分かれば、どの順で外せば壁が一枚ずつ落ちてくるかが決まる。解体は、施工の巻き戻しだった。
その日から、私は壁の表面ではなく裏を見るようになった。継ぎ目のビスの列を拾い、天井を見上げて軽天の走る向きを読む。作った職人の手順が、はがす私の手順を決めていく。会ったことのない施工屋と、何年も後の私とが、一枚の壁を挟んで段取りを受け渡している。
商業ビルの現場は夜だった。隣も上も、まだ営業しているテナントがある。シャッターの下りたフロアで、私たちは音の出る順に作業を組み替える。ハツリのような大きな音は人のいない深夜に回し、養生と分別は静かにできるうちに進める。壁の落とし方の前に、私はまず、音の落とし方を覚えた。
はがす先から分けていく。石膏ボードを先に一枚ずつ落として一山、軽天の金属は別の山、割れ物のガラスは傷つけないよう養生して最後に運び出す。混ぜれば早いが、それは仕事ではない。山の分かれ方が、その日のトラックへの積み順を決めていた。
定食屋の壁を一枚はがしたとき、裏から古い壁紙が出てきた。前の前の店のものだ。さらに奥に、寄せ書きが貼られたまま残っていた。「祝開店」。マジックで「山田」「ヨシコ」、それから店主のものらしい走り書き。私はそれを少し眺めて、剥がして、石膏ボードの山に入れた。手は止めなかった。
どこまで戻すかは契約で決まっている。原状回復。借りたときの状態に戻す。その「もと」がどこかは、図面と契約書の中にしかない。私は線の引かれた世界で、共用部の搬出路を養生し、埃を抑え、決められた線まで定食屋を戻した。引き渡した区画は、躯体だけの、何もない箱になった。
あれから十一年。引き渡した区画に、私はもう一度足を運ばない。けれど知っている。次の鍵を受け取った内装屋が、私の空けた壁の前にしゃがんで、これから打つビスの位置を、墨で出しはじめているはずだ。