辞書の、薄紙
何千ページを、毎日開かれる一冊にすること

ミトベゴロウ(57歳・製本所の職人33年)

うちの工場で、いちばん神経を使う仕事は辞書だ。何千ページもの紙を、一冊のかたちに綴じる。文庫なら二百ページ、雑誌なら百ページ足らずで済むものを、辞書は二千、三千と重ねる。それを毎日、人の指が引く。引かれるたびに開かれ、何十年ももたなければならない。本のかたちにする技術の、いちばん端の仕事だと思う。

辞書に使う紙を、インディアペーパーという。向こうが透けるほど薄い。一枚をつまもうとすると、二枚も三枚もついてくる。冬の乾いた日には、静電気で手の甲に貼りつき、振っても落ちない。湿気の多い日には、端から波打ってくる。この紙を扱う部屋は、年じゅう温度と湿度を一定に保ってある。紙の機嫌に、こちらが合わせる。紙のほうが先にいて、人間が後から入っていくような部屋だと思う。

辞書は一枚ずつ刷るのではない。何ページかをまとめて刷り、折って一帖の折丁にする。その折丁を、順に重ねていくのが丁合だ。文庫なら折丁は二十も重ねれば足りるが、辞書は百を超える。一帖でも順が狂えば、本の真ん中で語が飛ぶ。背丁の黒い印が、階段のように一段ずつ下りていくのを目で追う。何千ページの正しさが、この一段ずつの揃いに、すべて掛かっている。

綴じは糸かがりだ。文庫のように背を削って糊で固めるわけにはいかない。あの薄い紙は、削ればちぎれる。だから一折ずつ、針で糸を通して縫う。糸は細い。けれど細いだけでは、毎日の開閉で切れてしまう。細くて、強い。番手の細い糸を選びながら、撚りの強いものを使う。薄さと丈夫さは、本来そりが合わない。その合わない二つを、一本の糸の上で両立させる。

背は、まっすぐ固めず、丸める。丸い背のほうが、開いたときページが素直に寝るからだ。けれど辞書のように厚い本は、これが難しい。厚ければ厚いほど、よく開かせようとすれば背は弱くなり、丈夫にしようとすれば開きが渋くなる。開きと強度は、厚い本ほど離れていく。その離れていく二つの真ん中を、背の丸みのほんのわずかな加減で、探り当てる。指の腹で背をなでて、まだ少しきついか、と思う日もある。

仕上げに、小口を加工する。辞書の横腹に、半月のかたちの窪みが並んでいるのを見たことがあると思う。爪掛けという。「あ」の窪み、「か」の窪み。指でそこを引けば、引きたい行のあたりが一度で開く。あの窪みは飾りではない。何千ページを、目当ての一語まで最短で開かせるための、指の道だ。小口に金を付けるのも、薄紙の断面から湿気や汚れが入るのを防ぐ意味がある、と言ってもいいのかもしれない。

電子辞書というものが出て、もう長い。言葉を引くだけなら、あの小さな機械のほうが速い。それでも、紙の辞書を作ってくれという注文は、まだ来る。私はその注文を、静かに受ける。言葉の海を一冊に綴じ込むこの仕事を、誰かがまだ必要としている。その事実だけで、私には十分なのだと思う。

辞書が何十年ももつのは、紙の質でも印刷でもない。製本のためだ。毎日開かれることを前提に、開きと強度の両立を、薄紙の機嫌に合わせて作り込む——毎日開かれる本の設計、それが辞書なのだ。三十三年、私はその端の仕事を続けてきた。今日も湿度を一定に保った部屋で、薄紙は静かに、こちらの手を待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。