のし紙の、上と下
包装係一年目、紙の合わせに向きがあると知った日

ミヤモトアヤメ(58歳・デパート包装係35年)

包む仕事を三十五年してきた。台の上にあるのは、紙とのし紙と水引と、それだけだ。中に何が入っているかは、たいてい知らない。お客様が箱を出され、こちらは寸法を見て紙を取る。包んでお返しするまでの数分が、私の持ち場だった。

包装紙には合わせがある。箱に紙を巻いて、左右の端を重ねる。その重なりを、右を上にするか、左を上にするか。慶事は右が上、弔事は左が上。研修の二日目に教わって、ノートの隅に「祝=右前、弔=左前」と書いた。覚えるのに時間はかからなかったと思う。理屈ではなく、ただの決まりだったから。

一年目の夏のことだった。デパートの照明は柔らかく、包装台のまわりにはお中元の箱が積まれていた。私は流れ作業のように紙を取り、巻き、角を折り、テープを使わずに端を留めていく。キャラメル包みというやり方で、上手な人は紙の継ぎ目さえ見せない。その日も私は、いつものように右を上にして包もうとしていた。

お客様は年配の女性だった。箱を台に置きながら、ひとこと「御供えです」とおっしゃった。御供え。手が止まった。お中元の流れの中で、私はその箱も祝いのものとして包みかけていた。右が上ではいけない。弔事は左が上だ。私は巻きかけた紙をいったんほどいて、左を上にして包み直した。

紙の重なりは、せいぜい一センチほどだ。右が一センチ上に来るか、左が一センチ上に来るか。たったそれだけのことで、その包みは祝いになり、弔いになる。中の品物は同じかもしれないのに、外側の紙一枚が意味を分ける。あの日、私は初めて、自分が留めているのが端ではなく意味なのだと知った気がした。

のし紙にも決まりがある。表書き、名入れ。込み入った筆耕は奥の係に回す。水引は、二度とくり返さないことには結び切り、何度あってもよいことには蝶結び。婚礼の結び切りは固く、快気祝いの結び切りも固い。出産の蝶結びはほどける。私は結ぶ手より先に、その品が二度あってよいものかどうかを考えるようになった。

繁忙期のお歳暮の頃には、台の前に列ができる。早く、正確に、同じ精度で。指は勝手に動くようになり、紙の角はいつも同じ深さで折れる。それでも合わせの向きだけは、手が勝手に動くのにまかせず、いちど指を止めて確かめる癖がついた。あの「御供えです」の声が、三十五年たっても耳の奥に残っているのだと思う。

私は中身を語らない人間になった。何が入っているかではなく、それがどう包まれるべきかだけを見る。表書きを見れば祝いか弔いかがわかり、水引を見れば一度きりか何度でもかがわかる。贈り物には外側の文法がある。私はその文法の、ただの観察者だった。

あれから三十五年。何万個包んだか、もう数えていない。包装とは品物を隠す仕事だと思われがちだが、本当は、その品が誰から誰へ、どんな気持ちで渡るのかを、紙一枚で言い表す仕事なのだと、いまでは思う。あの夏の「御供えです」の一言が、紙の合わせの一センチが、私をいまの私にしてくれた。台の上には、今日も紙とのし紙が静かに並んでいる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。