モロボシリク(47歳・地下街の施設管理25年)
月例点検は、開店の一時間前に始まる。私はかごの前に「点検中」の札を掛け、その下に、北口エレベーターへの迂回案内を置く。車椅子の客は、この一台が止まると北口まで百二十メートル回る。掛けるのは私で、外すのも私だ。札を掛けた一台は、その朝だけ街から外れる。
点検に来るのはフカミサトルさん。二十年、同じ人だ。挨拶のあと、彼は工具箱をいつもの位置——三号機の操作盤の真下、客から見えない死角——に置く。位置は二十年変わらない。私はもう、彼が次にどの蓋を開けるかを、手より先に知っている。「おはようございます」「お願いします」。言葉はそれだけで、足りる。
フカミさんは点検口を開け、かごの上に乗る。私は下に残る。見上げると、天井の四角い穴の向こうで、ヘッドランプの光が揺れている。穴の縁と、彼の靴底と、その光。下にいる私に見えるのは、それだけだ。レールも調速機も、私の位置からは見えない。見えないものを彼が見ているあいだ、私は四角い光を見上げて待つ。空の見えない街で、私はいつも、誰かが見ている見えない場所を、下から見上げている。
かごをピットまで下ろす。底に水が溜まっている。三センチ。指を入れると冷たく、鉄錆と土の匂いがする。汲み上げるポンプはあるが、湧水は引いても引いても、翌月にはまた三センチ戻っている。地上のビルの昇降路は乾いている。ここは違う。フカミさんは水位の跡を壁に指でなぞって、何も言わない。私も言わない。先輩に教わった一言は、ここでは黙っていても底に溜まる。
一度、夜中に閉じ込めがあった。閉店後の見回りの職員が、二号機のかごの中で止まった。私は防災センターから、フカミさんは自宅から来た。インターホンが鳴った瞬間、私が先に喋った。「いま、フカミさんが来ます。あと十分です」。考えてではない、口が勝手に動いた。フカミさんは無言で機械側にかかり、巻上機を手で回し始めた。私が中の人に喋り、彼が機械を下ろす。誰も役割を決めていない。先に喋ったのは、いつも私のほうだった。
このごろ、三号機の制御盤の話になる。基板が製造終了で、あと三年、とフカミさんは言う。更新の見積もりは九百万。止める工事は、客の少ない二月の、開店前のこの一時間を十日分積む。彼は数字を順に並べ、私はそれを手帳に書く。だましだまし三年か、九百万で十五年か。私は手帳を閉じる。それ以上の言葉は、二人とも足さない。
点検が終わる。「上げていいです」。私は札を外し、ロープを巻く。ボタンを押すと、かごは下りてきて、扉を開け、また閉じる。開店時刻、客が乗り、ボタンを押し、上がっていく。三センチの水のことも、四角い穴の光のことも、誰も知らない。札の跡は、掛けていた金具に少し残る。それは私だけが見る。
翌月もまた、開店の一時間前。フカミさんが工具箱を三号機の真下に置く。私は札を掛ける。手帳の九百万は、まだ閉じたままだ。