漆喰の、白
蔵の壁と、呼吸する白について

モロホシナナ(30歳・左官職人8年)

このごろは漆喰の現場が多い。蔵の修復や、和風住宅の壁。漆喰の白は、ペンキの白とはまるで違う白だと思う。ペンキは表面に膜を張って光をはね返すけれど、漆喰の白は、奥のほうから滲んでくるような白だ。よく言われるように、漆喰は呼吸する壁で、湿気を吸っては吐く。その呼吸が、あの柔らかい白を作っているのかもしれない。

練りたての漆喰は、白くない。少し灰色がかって、濡れて見える。鏝で掬うと、ぽってりと重い。それを壁に塗りつけた直後も、やはり濡れ色のままだ。白くなるのは、あとからだ。乾くにつれて、濡れ色が引いていく。一日では終わらない。二日、三日とかけて、壁はゆっくりと色を抜いていき、やがてあの白に落ち着く。塗った日と、引き渡しの日とでは、同じ壁が別の色をしている。

漆喰には、追っかけ仕上げというのがある。塗ってすぐではなく、乾きかけの、絶妙のタイミングで鏝を当てる。早すぎれば材料がついてきてしまうし、遅すぎれば艶が出ない。その「ちょうど」の幅は、たぶん数十分しかない。指で触れて、まだ少し湿っていて、でももう動かない——そのあたりを手が探す。乾きは季節と天気でずれるから、時計は当てにならない。壁の表面が、いつ鏝を呼ぶか。それを待っている時間が、漆喰では長い。

仕上げには、二つの方向がある。鏝の波を消しきって、つるりと磨き上げる仕上げ。それと、わざと鏝の跡を模様として残す仕上げ。磨きは光を平らに返し、模様は光を散らす。どちらが上ということはなくて、蔵には磨き、座敷の一面にはあえて模様、というように使い分ける。同じ白でも、消す白と、残す白がある。鏝を持つ手が、どちらを選んでいるかを、面が覚えている。

蔵の修復に入ると、昔の左官の仕事に出会う。古い壁を剥がすと、漆喰の中に藁すさが入っている。百年も前の、誰だか分からない職人が混ぜたものだ。藁の量や、刻みの細かさで、その人がどんな配合で練っていたかが、なんとなく手に伝わってくる気がする。配合は数字でも書かれていて、でも本当のところは手が覚えていたのだろう。百年前の手の感触を、剥がした壁の断面から想像する。そういう瞬間がある。

漆喰の現場は、汚れが白い。服も、鏝も、髪も、いつのまにか白くなる。床に落ちた材料が乾いて、靴の裏まで白い。汚れというのはたいてい黒いものだから、白く汚れる仕事は珍しいのだと思う。帰りの電車で、袖に白い粉をつけたまま座っていると、隣の人がちらりと見る。これはペンキでも泥でもない、と言いたくなるけれど、言わない。白い汚れは、洗えば素直に落ちる。

施工が終わってしばらくして、施主から連絡をもらうことがある。「壁が呼吸している気がします」と書かれていた。湿気の多い日に壁がしっとりして、乾いた日にさらりとする。たしかに漆喰はそういう材料だ。技術者としては、それは消石灰が空気中の二酸化炭素とゆっくり結びついていく過程で——と説明することもできる。けれど、呼吸していると感じてもらえたなら、それはこの白がうまく仕上がったということなのだと思う。そう返事を書いた。

漆喰の白は、塗った瞬間には完成しない。私が現場を去ったあとも、壁は数日かけて色を抜き、それから何十年も呼吸を続ける。私の鏝が触れたのは、乾く前のほんの数十分だけだ。けれど、その数十分の手つきが、磨きか模様か、消す白か残す白かを決めて、あとは壁にまかせる。呼吸する壁こそが、左官の誇りなのだ。今日も私は、白くなる前の濡れ色の壁の前に立って、鏝を呼ぶ時間を待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。