ムロフシガク(58歳・銭湯のボイラー技士35年)
銭湯の客は、釜場を見ない。番台の奥、浴場とは壁一枚を隔てた狭い部屋で、私は三十五年、湯を沸かしてきた。客が湯船に身を沈めるとき、その湯がどこで温められたのかを考える人はいない。それでいい。湯が良ければ、釜場は忘れられている。そういう仕事だ。
釜場に立ったのは一九九一年、二十三歳の春だった。父がボイラーの前で、圧力計を指さして言った。私はその数字を覚えようとした。父は首を振って、「数字じゃない」と言った。湯けむりの向こうに、これまで気づかなかった父の横顔があった。
父は言った。「湯温計を見るな。湯を見ろ。湯気の立ち方と、客の肩の沈み方で、温度は分かる」。番台のガラス越しに浴場が見える。父はそこに目をやりながら、調整弁に手を添えていた。湯面から立つ湯気が、まっすぐ昇るか、横に流れるか。それで一度や二度の違いが読めるのだという。最初は、まるで分からなかった。
一番風呂の温度は、常連の体が覚えている。開店前の湯張りの段取りを、父は時計ではなく、缶の音で測っていたように思う。あるとき〇・五度ぬるかった日、口開けの客が湯船に入って、ほんの一瞬、肩を止めた。それだけだった。だがその晩、番台に苦情が来た。〇・五度を、人の皮膚は覚えている。釜場には、その苦情は届かない。
父の代までは薪で沸かしていた。私が継いだ頃、ちょうどガスへの転換期で、釜場には薪の時代の黒い釜がまだ残っていた。薪は火加減が手に覚えるしかなく、ガスは数字で動く。便利になったぶん、湯と向き合う時間が減った気もする。冬は底から、夏は表面から——沸かし方は季節で変わる。そういうものなのだろう。
定休日は、缶の掃除をする。湯を抜いた缶の内側には、湯垢が層になってこびりついている。客の誰も見ることのない、湯の裏側だ。一年ぶんの湯がここを通ったのだと思いながら、私はそれをこそげ落とす。誰にも見られない作業ほど、丁寧になる。これも父から受け継いだ、ささやかな矜持なのかもしれない。
客の「いい湯だった」は、番台で聞く。釜場には届かない。お褒めも苦情も、壁一枚で止まる。だが私は、湯面の揺れ方で浴場の混み具合が分かるようになった。波が細かく立てば客が多く、湯面が鏡のように凪げば、もう誰もいない。湯は、見ようとする者にだけ語る。消えゆく町の銭湯の片隅で、私はそれを聞いてきた。
父が湯温計を見るなと言った意味が、いまは少し分かる。計器は結果を示すだけで、湯そのものを見てはいない。湯気の立ち方、肩の沈み方、湯面の揺れ——数字にならないものを読むことが、釜場の仕事だった。湯を見ることが、俺をいまの俺にしてくれた。圧力計の針は、今日も静かに同じところを指している。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。